【短編小説】盲目明瞭メロンパン|||#風まかせ文芸部「焼きたてのパン」
交通事故にあった。
目が見えなくなった。
正確な症状としては、全てがぼやけて見えてしまうといったものだ。
光すら一切感じ取れなくなる全盲とは違い、朧げに形や色は分かる。
最初のうちは「命を落とさなかっただけでも幸い。何もかも見えなくなった訳ではないし。」と思っていたが、日が経つにつれ不便さが顕著に現れ始めた。
本が読めない。
仕事も辞める羽目になった。
スマホもただの携帯電話に成り下がった。
ぼやけた視界の中で、光だけが強烈に眩しく感じられた。
傷も完治し、退院しても回復の兆しは一向に見えなかった。
二十数年生きてきて突然、視力を取り上げられた精神的苦痛は予想以上に大きかった。
食事も美味しくなかった。
味に変化はないはずなのだが、視覚が不足しているだけで、途端に美味しく感じなくなってしまう。
特にシチューやカレーライスといったものは好まなくなった。
何を食べているか分からなくなってくるからだ。
そんなある日、お見舞いに来たいという連絡があった。
長らく会っていなかった中学の頃のクラスメイト、池野だった。
その声と名前は覚えたいたが、顔が上手く思い出せなかった。
義務で連絡先を交換しただけで、初めの挨拶だけで終わってしまったクラスメイトだったのだ。
事故に遭ってから、突然連絡が来た。
久しぶりに現れた池野は、金と肌色と黒で構成された人型となって玄関先に立っていた。
安っぽい香水の匂いを漂わせている。
「おーすっ!久しぶり!なんだ、元気そうじゃん。」
思わず殴りつけたくなる。
何となくで呼んでしまったことを後悔した。
「まあな、命に別状はないんだけど、目が見えなくなっちまったんだよ。」
「ああ、聞いたよ。治りそうなん?」
「いやら網膜に傷がついちゃったみたいで。治らない可能性が高いってさ。」
「マジかー。でも生きてて良かったなあ。これ見える?何本?」
「見えないよ。どこから指なのかがよく分からない。」
「そうか。そりゃそうか。そういうことじゃないんだよな。大変そうだよな。見えないって。」
目頭が熱い。
なんでだろう。
こんなやつの言うことなんて気にする必要なんて別にないのに。
軽々しい言葉の端々に、深い同情と憐れみが中途半端に感じ取れる。
それが腹立たしい。
池野のこういうところが気に食わなかった。
他人の神経を逆撫でする癖に、悪い奴ではないから突っぱね切ることができない。
余計に惨めな気分になってくる。
「なんで、俺ばっかり。」
見えなくなった目から頬を伝い流れていく涙の感触があった。
「おー、どうしたどうした突然。なんで泣いてん?ほらハンカチ。大丈夫か?いや、大丈夫じゃないよな。ごめんな。なんか気に障ったか?」
池野は慌てふためき、一気に捲し立てるように喋る。
「ごめんな。辛い時に。俺今更お前の事故を聞いてビックリしてさ、何の考えもなしに来ちゃって。別にそこまで仲良くなかったよな俺ら。」
「そんなこと言うなよ。」
一人でに口が喋っていた。
そんなことを言わせたかった訳ではない。
池野が困ったように笑うのが気配で分かった。
「じゃ、そろそろ帰るわ。様子見たかっただけだしな。それに俺も忙しい身でさ。これから仕事だよ。」
こちらが何か言う前に、池野は茶色いもの差し出してきた。
「これさ、良かったら食べてよ。よくなんかキツいな〜って時に食ってるんよ。冷めないうちにな。邪魔したな。見送りは来なくていいぜ。」
押し付けられたカサカサとしたこの手触りは紙袋、だと思う。
「また今度、一緒に呑もうな。」
紙袋に手を突っ込む。
丸みを帯びた円盤状。
網目状の格子の凹凸。
それに熱い。
これは、メロンパンだ。
しかも焼きたてだ。
紙袋の口から甘い柔らかな匂いが立ち昇る。
そういえば今日は朝食を食べていない。
空腹だったことに今更気が付いた。
一口齧る。
ビスケット生地のざくざくとした食感とパン生地のもっちりした食感がたまらない。
小麦とバターが味蕾を刺激し、香りが鼻を抜けていく。
糖分と焼きたての温かさが血管中を巡っていく。
もう一口、もう一口。
止まらない。
「美味しい。」
視界に映るメロンパンは茶色の塊でしかなかったが、味は鮮明に感じ取れていた。
突然、もう見ることのできない池野の笑顔をはっきりと、思い出した。
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