置いていった後悔|#11
気づいていた。
でも、
気づかないふりをした。
そのほうが、
少しだけ楽だったから。
教室の窓際だった。
午後の光が、
黒板の端だけを白くしていた。
先生の声は聞こえていたけど、
ちゃんとは入ってこなかった。
ノートは開いていたけど、
ほとんど書いていなかった。
そのかわりに、
同じ行を、
何度もなぞっていた。
前の席のあの子が、
少しだけ、
元気がなかった。
ここ数日、
なんとなくそう感じていた。
話しかければ、
普通に笑う。
でも、
その笑い方が、
ほんの少しだけ浅い。
気のせいかもしれないし、
気のせいじゃないかもしれない。
そのくらいの違和感。
一度だけ、
「大丈夫?」
って、
言いかけたことがある。
でも、
そのあとに続く言葉が、
見つからなかった。
大丈夫じゃなかったら、
どうするんだろう。
何を言えばいいんだろう。
ちゃんと、
受け止められるんだろうか。
そう考えたら、
その一言は、
口の中で止まった。
そのまま、
何も言わなかった。
放課後、
その子は、
少し早く帰った。
「また明日ね」
って言っていたけど、
その“また明日”が、
少しだけ遠く感じた。
次の日、
その席は、
空いていた。
理由は、
あとから聞いた。
しばらく学校に来ないらしい
大したことじゃない、
って言う人もいると思う。
でも、
そのときの自分には、
ちゃんと、
大きなことだった。
あのとき、
気づいていた。
違和感も、
タイミングも、
たぶん、
全部揃っていた。
それでも、
何も選ばなかった。
気づかないふり、って、
本当は、
気づいている状態のことなんだと思う。
見ないようにして、
考えないようにして、
少しだけ遠くに置く。
そのほうが、
今の自分を、守れるから。
でも、
あとから残るのは、
「気づいていなかった後悔」じゃなくて、
「気づいていたのに、
何もしなかった後悔」だった。
夜になると、
ときどき思い出す。
あのとき、
たった一言でもよかったんじゃないかって。
正解じゃなくていいから、
何かひとつ、
渡せたんじゃないかって。
あのときの一言で、
何かが変わったかどうかは、
わからない。
でも、
何も言わなかった自分だけは、
ちゃんと、
ここに残っている。
それから少しだけ、
変わった。
同じような違和感に気づいたとき、
前よりも、
少しだけ立ち止まるようになった。
完璧な言葉じゃなくていい。
ちゃんとした答えじゃなくていい。
それでも、
気づいたことから、
逃げないように。
あのときの自分に、
まだ間に合うわけじゃないけど、
これからの自分には、
少しだけ間に合わせるために。
気づいていたことを、
ちゃんと、
気づいたままにする。
それだけで、
ほんの少しだけ、
未来は変わる気がしている。
あとがき
この物語は、
ゆる金トレ部さんが置いていってくれた
「気づいていたのに、気づかないふりをした」
という言葉から生まれました。
最初に読んだとき、
それはとても落ち着いた一文なのに、
どこか現実の重さを含んでいる
ように感じました。
日常の中で、
ほんの一瞬だけ引っかかる違和感。
おかしいなと思いながら、
そのままにしてしまう判断。
それは人との関係でも、
仕事でも、お金のことでも、
きっと同じように起きているのだと思います。
ユルキンさんの文章には、
一見すると現実的で、
具体的なテーマが多いように見えて、
その奥に、
「なぜそれを選んだのか」
「なぜ見過ごしてしまったのか」
という、人の内側にある選択が、
ちゃんと残されていると感じました。
強く言い切ることもできるはずなのに、
どこかで読み手に委ねてくる余白がある。
その余白の中で、
自分の選択や、見過ごしてきたものを、
ふと思い出してしまう。
そんな書き方をされる方なんだと思います。
ゆる金トレ部さんの作品はこちら。
今回の一言も、
何か特別な出来事ではなく、
誰の中にもある「小さな見逃し」を
静かに浮かび上がらせるものでした。
気づいていたことを、
なかったことにしない。
それはたぶん、
とても小さなことだけど、
これからの選択を、
少しだけ変えていく力になるのかもしれません。
この物語も、
そんなふうに、
日常の中でふと立ち止まる
きっかけのひとつとして
残ってくれたらうれしいです。
つむぎ
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