ネコになりたいイヌはどう動く? ~『「組織のネコ」という働き方』の感想レポート~
カフェゼミの準備でいちばん不思議なのは、準備をすればするほど、イベントそのものから遠ざかる気がする瞬間があることだ。
名札をつくる。進行表をまとめる。必要なものを確認する。どれも当日に欠かせない。けれど、前日が近づくほど、私の意識は「どんな場にしたいか」から「まだ何が終わっていないか」へ移っていく。場をつくるために動いているはずなのに、いつの間にか、場ではなくタスクだけを見ている。この状態を、私は「作業になっている」と感じる。
『組織のネコ』では、組織や上司に忠実に動く人を「組織のイヌ」と呼ぶ。イヌは、決められたことを安定して進め、周囲の期待に応える力を持っている。イベント準備においても、この力は欠かせない。アイデアだけでは場は開けないし、誰かが細かい確認を引き受けなければ、当日の安心は生まれない。だから私は、イヌ的な働き方を否定したいのではない。むしろ、場を現実にするのは、そうした地味な実務だと思う。
ただ、イヌ的に動くことには落とし穴もある。本書でいう「こじらせたイヌ」は、他者の指示を待ち、自分の頭で考えることを手放してしまう存在だ。私も、準備に追われていると、何のためにやるのかより、終わったかどうかばかりを気にしてしまう。任されたことを落とさないようにするほど、チェックリストの中に入り込み、イベント全体が見えにくくなる。作業とは、手を動かしているのに、目的からは遠ざかっている状態なのではないか。
では、作業がクリエイティブに変わる瞬間とは、作業をやめて企画を考える側に回ることだけなのだろうか。私は、それだけではないと思う。クリエイティブは作業の外側にあるのではなく、作業を「何のためにやっているのか」と結び直すときに生まれる。名札をつくる手を止めるのではなく、その名札が初対面の人の会話の入口になるかもしれないと考えること。進行表をまとめる作業をやめるのではなく、それを当日関わる人たちが同じ景色を見るための地図として捉え直すこと。そこに、イヌがネコへ近づく余地がある。
私はここ一年ほど、自分はネコになりたいイヌなのかもしれないと感じている。ちゃんとやることは手放せない。けれど、ちゃんとやるだけで終わりたくもない。ネコのように、自分の違和感や関心から動いてみたい気持ちがある。しかし、ネコになりたいからといって、役割を放り出すことが自由だとは思わない。私に必要なのは、イヌをやめることではなく、ちゃんとやる自分の中に、「本当にこれでいいのか」と問い続ける感覚を残すことだと思う。
そのためには、作業中に小さな問いを消さないことが大切だ。「これは誰を楽にするのか」「この順番で不安になる人はいないか」「この場に何が生まれてほしいのか」。忙しい前日に、毎回立ち止まる余裕はない。それでも、一瞬でも目的に戻ることで、目の前のタスクは単なる処理ではなくなる。作業をしながら、作業に飲まれない。その距離感こそ、組織のイヌがクリエイティブへ移る方法なのではないか。
『組織のネコ』を読んで、私はクリエイティブを派手な才能ではなく、役割を自分の言葉で引き受け直す態度として考えるようになった。カフェゼミの準備で感じる「作業になっている」という違和感は、手を動かすことが嫌なのではなく、場の意味から離れたくないというサインだったのかもしれない。準備をすればするほどイベントから遠ざかるのではなく、準備の一つ一つを通して、もう一度イベントに近づいていく。そのために私は、イヌの確実さを持ちながら、ネコの目で場を見つめ続けたい。それが、私にとっての創造性の始まりである。
