ギプスが外れた後のほうが、かえって孤独を感じた理由
「おめでとう、やっと外れたね」
「もうすっかり大丈夫そうだね」
ギプスが外れた日、
周りの人は自分のことのように喜んでくれました。
私も、その言葉に笑顔で応えようとしました。
でも、心の中では、
ギプスという「私が不自由である証拠」を失ったことへの、
言いようのない不安が広がっていたのです。
今日は、
外見の回復と内面の実感がちぐはぐな時に訪れる、
あの「見えない孤独」についてお話しさせてください。
1. 「見た目」と「実感」のあいだにある溝
ギプスが外れると、外見上は「普通の人」に戻ります。
歩けるようになり、外にも出られるようになる。
周りが安心するのは、無理もないことです。
けれど、私の中では全く違いました。
歩けば響くような痛みがあり、階段を一段降りるのさえ怖い。
少し動くだけで、鉛のような疲れが襲ってきます。
喘息の息苦しさだって、目に見えないだけで、
まだ私の中に居座り続けていました。
「見た目」は治っているのに、
「実感」はまだ嵐の中にいる。
この溝が、言葉にできない孤独を生み出していました。
2. 「大丈夫そう」という優しい刃
周囲の人は、決して悪気があって言っているわけではありません。
むしろ、心配してくれていたからこそ、良くなったことを喜んでくれてる。
それは痛いほど分かっていました。
けれど、
「もう大丈夫そうだね」
という空気を感じるたびに、
私は自分の本当のしんどさを、
ぎゅっと心の奥に押し込めてしまいました。
「まだ痛いなんて言ったら、わがままかな」
「普通に見えるのに、できないと言うのは甘えかな」
そうやって、
相手を理解しようとするあまり自分の声を後回しにすることで、
世界中で自分だけが「まだ治っていない場所」に取り残されたような
気持ちになっていたのです。
3. 「元通り」という幻を追いかけない
あの頃の私は、
「元通りになりたい」という執着に縛られていました。
以前のように動けない自分、家族に助けてもらわないと生活できない自分を、「情けない」と責めてばかりいたのです。
けれど、ある時から少しずつ、考え方を変えることにしました。
「元通りを目指すのではなく、今の自分でできることを探してみよう」と。
階段が怖いなら、ゆっくり一段ずつ降りればいい。
歩くのが不安なら、誰かの肩を借りたっていい。
見た目が普通に見えても、しんどい時は「しんどい」と言っていい。
自立とは、一人で完璧にこなすことではなく、
自分の弱さを認めて、誰かの優しさを素直に受け取ること
なのかもしれません。
4. 今日も、あなたのペースで
「見えない苦しさ」を抱えて生きているのは、
きっとあなただけではありません。
ギプスが外れた後のリハビリが人それぞれ違うように、
心の回復のスピードも、人それぞれでいいのです。
誰かと比べる必要も、以前の自分と戦う必要もありません。
立ち止まっているように見えても、今日を生きている。
それだけで、あなたは十分に、そして確実に前へ進んでいます。
今夜は、目に見えない場所で一生懸命頑張っている自分自身を、
優しく労ってあげてください。
「今日もお疲れ様。今のあなたのままで、いーよ」と。
あなたが、安心して深い眠りにつけますように。
外見が普通に見えるからこそ深まる孤独。
その「見えない痛み」を誰よりも知っているのは、
他ならぬあなた自身の手のひらです。
手のひらを「鏡」にして、
自分自身の本当の声を聞くためのセルフ対話術を、まもなくお届けします。
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