いゆの懲りない恋愛哲学11✴︎同じ役に見えて、違うところへ行くもの
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いゆの懲りない恋愛哲学11
同じ役に見えて、違うところへ行くもの
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まだ懲りないらしい。
だって、まだ、湧いてくる。
ひーくんとふれあいたい欲求は
子育てからの逃避なんじゃないかと
最近、思っている。
夫婦だから、いいのか?
それとも――
壮ちゃんへのそれと
大差ないのか?
自分でも、わからなくなる。
自分の衝動が湧くたびに
それが満たされるたびに
疑ってしまう
そしてそれを
言葉にしたくなる
恋愛哲学なんて言葉を被せた
変態いゆ
再び参上
結論から言う
ひーくんとふれあいたい欲求は
壮ちゃんへのそれとは
同じに見える部分はあるけど
本質は違う
でも
「子育てからの逃避」という側面が
〝ゼロではない”のも事実だと思う。
順番にほどいてみようか。
そうしようか。
触れ合いたい欲求=逃避か?
疲れているときほど、
「ふれたい」が強くなる
誰かに求められて、
何者でもない自分として
存在したい
母でもなく
ちゃんとした大人でもなく
子育てってさ
常に誰かの要求に応える
自分の感情は後回し
身体も心も「母」という役割に使われ続ける
この状態が続くと、
「誰かに求められたい」
「何者でもない私として触れられたい」
って欲求が湧いてくる
だから
子育てからの逃避では?
という問いに対しては
一部はそうかもしれない
でも
逃げることが悪い訳ではない
それが私の答え。
逃げというよりもね
回復
呼吸
人間に戻る時間
に近い
夫婦だからいいのか?
ここが一番大事なところ。
「夫婦だからOK」かどうかじゃない。
触れ合ったあと、
私はどこに戻るのか。
現実に戻れる場所なのか。
それとも
現実を忘れるための場所なのか。
現実に戻る場所として
ふれあいが成立しているか
これが分かれ目。
ひーくんとのふれあいは
・終わったあと、現実に戻れる
・罪悪感より、安心が残る
・「また母に戻ろう」と思える
逃避ではなく、補給。
走った後のポカリです。
一方で
壮ちゃんとの関係は
・現実を忘れるため
・欠乏を埋めるため
・戻る場所がどんどん曖昧になる
という性質が強かった。
ポカリじゃなくて
エナジードリンク
ちょっと、ハイになる。
ちょっと、依存気味になる。
同じ「触れ合いたい」でもね
“行き先”と“帰り道”が違うの
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この先は、
書きながら考えている場所です。
整っていない思考や、
まだ名前のついていない感情を
置いていくために、
メンバーシップをひらきました。
ここから先は、
私自身が何度も同じ問いに戻りながら、
やっと言葉にできた部分です。
「ふれたい」という欲が
逃避なのか、回復なのか。
夫婦だから許されるのか。
許されない恋だったら間違いなのか。
答えはひとつじゃないし、
きれいな結論もありません。
それでも私は、
自分なりの“違い”と
向き合うことにしました。
懲りないまま、
それでもちゃんと生きるために。
ここからは、
心の引き出しをそっと開けてから
読んでください。
ここから先は
いゆの懲りない恋愛哲学
誰かを好きになったこと。 満たされなかったこと。 夫婦であること。 未完成なまま揺れ続けたこと。 いゆが書き落としてきた “懲りない恋愛…
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