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一人で全部背負う経営者へ。組織を失って気づいた、判断の手放し方

はじめまして。株式会社FINIXの和泉利明です。営業職・不動産業で30年、賃貸・売買・経営・育成まで、様々な現場を渡り歩いてきました。会社を立ち上げ、組織を拡大し、そして全てを失う。そんな経験を経て、今は「社外No.2」として経営者の意思決定と実行に関わっています。この文章は、経営という仕事に孤独を感じているあなたに向けて書きました。

・一人で全ての判断を背負い、疲れを感じている経営者
・組織を大きくしてきたが、いつの間にか現場との距離を感じている経営者 ・このまま突き進んでいいのか、判断に迷いを抱えている経営者

私はあなたに、肩書きではなく、自分自身の判断力に目を向けてほしい。そして、誰かに丸投げするのではなく、どんな状況でも揺らがない「あなただけの経営の軸」を手に入れてほしい。この手紙が、あなたの心に少しでも寄り添い、明日への一歩を踏み出す勇気になれば幸いです。



営業の世界に導かれた少年時代

私の子供時代は、母の病気と父の怒鳴り声で満ちていました。母は私が小学生の頃に難病を発症し、少しずつ歩けなくなり、言葉が出にくくなっていきました。母の体と一緒に、家の中の空気もどんどん重く、沈んでいきました。父は外では派手に仕事をしていましたが、家では晩酌をしては苛立ち、時に怒鳴り、家を出ていく。家の中には安心ではなく、緊張と孤独しかありませんでした。

高校卒業後すぐに社会に出た私は、自分を律することもできず、目の前の「稼げそうな仕事」に飛びつきました。気づけば若くして借金を抱え、勢いで結婚しては、離婚する。「自分は誰の役にも立っていない」。そんな空虚さを抱えていたとき、病床の母がふと言いました。

「あなた、人と話すのが上手なんだから、営業でもしてみたら?」

その程度の気持ちで踏み出した一歩が、私の人生の流れを変える始まりになりました。20歳で営業の世界に足を踏み入れ、がむしゃらに数字を追い、初めて契約が取れた日、上司に「よくやった」と褒められた感覚は、今でもはっきり覚えています。

「自分にも、何かできることがある」
たった一つの契約が、自分の存在価値を証明してくれたように感じました。

その後、賃貸仲介からこの世界に入り、26歳で移った大手の売買仲介では、それまでとは違う厳しさに直面しました。提案の丁寧さも、情報の精度も、求められる水準が跳ね上がり、自信が音を立てて崩れていった時期もあります。それでも折れずにいられたのは、お客様の人生に深く関わることに、確かな手応えを感じていたからでした。27歳で移った戸建て分譲の仕事で、ようやく営業の本質に触れられている感覚を持てるようになりました。


組織の拡大と崩壊から学んだこと

30代前半で独立を決意し、レンタルスペースの一室で創業しました。お金も看板もない状態からのスタートでした。手作りのチラシを配り、過去のご縁をたどりながら仕事を得て、やがて「リノベーション専門の仲介会社」として事業の方向性を定めました。

社員も増え、20名ほどの組織になった頃が、今考えてみると、最も心地よい時期だったと思います。ひとりひとりを家族のように可愛がり、現場にも自ら立つ。「目が行き届くって、こういうことなんだな」と実感していました。拡大するという選択に、迷いがなかったわけではありません。ですが、目の前に来た大きな契約の話を、断る理由も見つかりませんでした。

大手法人との契約をきっかけに売上が跳ね上がり、拡大路線に舵を切りました。社員数は50名規模に拡大し、事務所も大きくなりました。ですが、社員が増えるほど、私自身が現場から離れていきました。マネジメント、資金繰り、採用、クレーム処理。気づけば、家族のように接していたはずの一人ひとりの顔が、いつからか見えなくなっていました。


コロナ禍の直撃によるダメージ

対面営業の制限、社内コミュニケーションの分断。あらゆる判断が後手に回っていく感覚がありました。主要取引先との契約打ち切りで売上は半分以下に落ち込み、信頼していた幹部社員の退職が相次ぎ、最後には数名の社員による横領が発覚しました。

組織は崩壊し、最終的に10名程度にまで縮小。それでも2年近く耐え続けましたが、限界を悟った私は全社員を集め、「会社を畳みます」と告げました。あのときの会議室の空気は、今でもはっきり覚えています。


この経験から学んだ3つのこと

この経験から学んだことが3つあります。

一つ目は、人間関係の大切さです。20名だった頃は当たり前のように交わせていた立ち話や表情の変化への気づきが、50名になった頃には、いつの間にか消えていました。信頼していた幹部の退職も、社員による横領も、振り返れば、その距離が生んだ結果だったのだと思います。

二つ目は、現場を忘れないことです。マネジメントや資金繰り、採用に時間を取られるほど、現場に顔を出す回数は減っていきました。異変に誰よりも早く気づけるはずの立場から、自分で自分を遠ざけていたのです。

三つ目は、スピードより丁寧さです。大手法人との契約をきっかけに一気に舵を切った拡大は、体制が整う前に人数だけを増やす結果になりました。一段ずつ丁寧に積み上げていれば、コロナや横領という想定外にも、もう少し持ちこたえられたかもしれません。

崩れたのは、組織であり、仕組みであり、過信でした。


全てを失って見えた、経営支援の本質

会社を畳だ後の私は、空っぽの器のようでした。名刺も、事務所も、スタッフも何も残っていない。約1年半、誰にも見えない場所で「会社を閉じる」という重く静かな作業を続けていました。それは、「誰からも必要とされない自分」と向き合う、苦しくも大切な時間でした。

そんなある日、一本の連絡が届きます。
「和泉さん、少し相談できませんか」それは、社長としてではなく、一人の実務家として、思い出してくれた元同僚からの連絡でした。

そこから少しずつ、仕事が動き始めました。最初は営業や現場の相談でした。ですが、話を聞くうちに、経営者自身からも同じような相談が増えていきました。

「社長がいないと現場が止まる」
「新しい事業がずっと実行段階で止まっている」
「判断すべきタイミングで判断できない」

業種は違っても、経営者が抱える孤独は、驚くほど共通していました。

そこで気づいたのは、私にできるのは「代わりに動くこと」ではなく、「判断と実行を支える構造をつくること」だということでした。それは、かつて自分自身が最も必要としていたものでもありました。

この気づきを、まず形にしたのが営業顧問としての仕事でした。気づけば約50社の経営者と、業種の垣根なく関わるようになっていました。

同時に、自分の専門領域である不動産・ファイナンスの実務も手放さず、不動産会社10社の顧問として、銀行に断られた案件を資本構成の組み替えで動かす仕事を重ねてきました。

今はこの土台の上に、経営者の意思決定と実行を支える「社外No.2」として活動しています。


"肩書き"を超える支援の本質

「経営支援って、結局は経験の量がものを言うんですよね?」
よくこう聞かれます。

私はこう答えます。
「いいえ。支援の力は、経験の量ではなく、何をくぐってきたかです」

社長という肩書きがあるだけで話を聞いてもらえた時代がありました。ですが、会社を畳んだ瞬間、その多くが消えました。それでも残ったのは、「また、和泉さんと話がしたい」と言ってくれる人たちの存在でした。それは、肩書きではなく、私個人に向けられた信頼でした。

経営を支える力は、肩書きの上に乗せるものではありません。
修羅場をくぐった経験の上に、実践的に築かれるものです。

経営者と関わる上で大切にしていること

まず「判断を届ける」ことです。経営者が本当に求めているのは、作業の代行ではありません。判断のための材料を整理し、決断そのものは経営者自身に委ねる。この線引きを崩さないようにしています。

同時に、「信頼を積み上げる」ことも意識しています。一度の相談で終わらせるのではなく、状況が変わるたびにまた声をかけてもらえる関係を大切にしています。単発のアドバイスより、続く関係の方が、経営者にとっての支えになると思うからです。

そしてもう一つ、「学び続ける」姿勢を崩さないようにしています。不動産という一つの業界で見えてきた判断のクセは、業種が変わっても同じように当てはまります。だからこそ、特定の業界の知識だけに頼らず、原則そのものを磨き続けています。

あなたの意思決定を、独りにしない

肩書きは変わる。会社も変わる。立場も環境も、いつかは変わっていきます。しかし、判断してきた経験だけは、自分の中に残ります。

もし今、経営という仕事に孤独や迷いを抱えているなら、あまり心配しないでください。誰もが通る道です。私自身、何度も壁にぶつかり、一度はすべてを失い、それでも前に進んできました。

経営者向けに、壁打ちの相談を始めています。作業を代行することはできません。ただ、判断のための整理は、一緒にできます。同じような孤独を抱えている方は、DMで今の状況を一行だけ聞かせてください。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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