長編小説 『蓮 月』 その十三
その小説小説は『少女と虹のエンジェル』という題名だった。
音楽室が板の間なので空いている時間を使ってダンスの練習をしている少女は2時間程の練習の後、倒れるようにして寝入ってしまった。
どれほどの時間が経ったのだろうか・・・子供達のざわめきが部屋まで届いた「ほら、あっちだよ!」と元気のよい声が聞こえて来て、窓辺に寄り子供達の姿を追いかけ、窓を開いて茜空を仰ぐと確かに綺麗な虹が架かっていた。茜空に虹を初めて視た少女は美しさに心を奪われながらも・・・何となく違和感を感じて・・・虹に眼を凝らしてその何故を感じを探し始めた。
「あっ、あれは・・・」なんと虹をカーテンのように広げているエンジェルが視えた。
それは、ほんとうに信じられない光景だったが・・・少女はそれ程不思議に思わなかった。それどころか、エンジェルの働きぶりを一心不乱に視つめ続けていた。
その視線に気づいたのかエンジェルはにっこりと微笑みを浮かべて、こちらに向かって、翼を静かに羽ばたいて翬んできた。そして、窓からすり抜けるようにして少女の前に立った。
「やぁ よくわかったね」
「ああ、いえ、ごめんなさい 邪魔をしてごめんなさい」
「謝らなくていいよ 時々僕が視える人が現れるんだ」
「・・・・・・・」
「なんだろうね・・・それは・・・ともかくも君は僕が視えて 僕と話
しをしている」
「はい、ありがとうございます」
「君は ダンスの練習をしているみたいだけれど 足を痛めているの?
」
「えっ、どうしてそれを」
「僕はエンジェルだから 視えるのさ・・・いろいろとね」
「苛められっ子なの、私、ある日意地悪されて階段を踏み外したの・・
・・・・もう傷は治っているはずなのに、何だか怖くて、時々足が竦
むの・・・来月は欧州の大学に行ける選考会があるのだけれど・・・
この身体ではとても無理だわ」
「う~む・・・少しだけ手助けをしましょうか・・・僕と踊ろう」
「えっ・・・一緒に踊る?」
「そうだよ 僕が君の身体を支えるから自由に踊って大丈夫だよ・・・
僕と繋がっているから大丈夫」
「わかりました・・・ではよろしくお願いします」
少女は戸惑いと嬉しさとで身体が震えた。
「じゃ、音楽を流して踊ろう」
パッヘルベル カノン の曲が教室に響いた。少女はゆっくりステップを踏み出した。
自身の身体が軽く浮いているような感じを抱きながら、委ねていて繋がっているという新しい不思議な感覚のなか、少しずつその動きの速度を速めていった。
右足を軸に回って、跳躍「わっお!」と驚きの声を思わずもらしてしまった
いつもより、高く大きな跳躍で着地も痛みが無かった
ああ、足を痛める前だってこんなにも踊れなかったわ ああ、エンジェル 踊りってほんとうに素晴らしい・・・夢中で夢中で・・・何がなんだかわからないままに・・・もうエンディング?・・・もう一度ここで、跳躍・同時に空中で廻って半身の着地・・・出来た・・・嬉しくて泪が止まらなかった
「どうだい 一緒に踊るのは良いだろう・・・最後の方は完璧じゃなか
ったの?」
「ありがとうございます。でも、いつもあなたが傍にいられるわけじゃ
ないから・・・」
「う~ん まあそうなんだけれど」
「こんな話し聴いたことない?肩甲骨は昔人間が天使だった時の名残だ
って・・・」
「ああ、はい、ありますが・・・ほんとうなんですか?」
「ええ ほんとうなんです」
「・・・それで 暫く僕の翼をあなたの肩甲骨にトランスプランテーシ
ョンします」
「移植?」
「まあ 言葉的にはそうなんだけれど 手術なんかなしで簡単に着けら
れるんです」
「ほんとうに?」
「ええ オールマイティアタッチメントが自然に形を造形してくれます
もっともこれが出来るのは僕の姿が視えて 困っている人にだけ一時
的にそれが許されるのです それが天使としての決め事なんです」
「でも、それじゃあ・・・その間あなたは・・・」
「はい 良い機会なんで 人間達の生活をつぶさに視て勉強したいと思
っています」
「・・・・・・・」
「これも学びです だから心配しないで」
「わかりました。それじゃお言葉に甘えますね・・・よろしくお願いし
ます」
「それじゃ 壁に向かって立って 背中だけはだけていただけますか
大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
少女は言われた通りに立ち、背中をはだけた エンジェルは翼を外して、少女の肩甲骨のカタチとサイズを手探りで測り、翼の根元を成形した。
「じゃ 着けますよ 」音も無く翼は少女の背に乗った。
「翼に意識を集中して 少し動かしてごらん 」
「少女はゆっくりと翼を広げた」
「うん、大丈夫みたいだね」
「さあ それで踊ってごらん」
もう一度、音楽を用意して少女は踊り始めた
翼が背にあるという感覚は殆どなかったが、呼吸が今までが嘘みたいに楽で、身体がエネルギーで満たされとても軽く・・・自由自在に思うがままにダンスができた。カノンの曲が終わるのがあっと言う間だった エンジェルは微笑みながら拍手をした。
「ブラボー とっても良かったよ 合格間違いナシだ」
照れながら「ありがとうございます。」と深々と礼をした
「一つだけ注意しなきゃいけないことがあるんだ」
「何ですか、それは?」
「この翼は こゝろと同調していて 心的なエネルギーを全開すると翼
はそのエネルギーに見合ったぶんだけ限界を超えて跳ぼうとするんだ
そして翼が全開すると・・・それは人としての『矩』を超えてしまう
ことになる シンプルに言えば空を飛べる」
「・・・・・・・」
「だからこゝろの働きをセーブし 動き過ぎてはいけないということ」
「何だか、怖い・・・」
「大丈夫 選考会まではまだ日があるでしょう? ここは後何回、何時
間借りることが出来るの?」
「今、吹奏楽部は来月の地区大会の為合宿でほぼ毎日午後一時から五時
迄は借りら れるわ」
「じゃあ 大丈夫 充分に慣れるから心配いらないよ」
「はい、わかりました」
「一つ尋ねていいかな?」 「ええ、どうぞ」
「何故 ダンスなの?」
「あぁ、私、小児喘息で虚弱だったの、学校あまり行けなくて、そのた
めに虐められて・・・・・・中学生になって喘息がなくなり 身体も
大きくなって・・・・・・或日、母に連れられて、マルセルマルソー
の舞台を観て、パントマイムに、彼に魅せられて・・・あの誕生から
死迄を表現したあのマイムに参ったの・・・それで、最初はマイムの
世界に入ったのだけど・・・母がシュタイナー教育に熱心で 一時期そ
の学校に通っていたの・・・そこではオイリュトミーっていう舞踏教
育があって 身体で表現することの歓びを教えて貰ったの・・・」
「いいお母さんだね」
「シュタイナー教育は少し宗教的な側面があって、なんでも神智学って
呼ぶのだけど、母はそれについていけなくて、半年で辞めたの・・・
でも身体を動かしたくて・・・クラッシックバレエ・モダンダンス・
ジャズダンスとかチョイ囓りだけど色々首を突っ込んでね・・・・・
結局、今のダンスのカタチになったんだけれど・・・なかなか新しい
境地にはたどり着けなくて、そして足を痛めて最悪の時に今日あなた
と出会って・・・あなたのおかげで勝負出来そう・・・ほんとうにあ
りがとう」
エンジェルは微笑みを絶やさず聞き入って何も言わなかった。
「でも、あなたがやっぱり心配・・・此処で生きていけるの・・・ほん
とうに?」
「大丈夫、エンジェルは美しい印象の食物で生きているから、物質的な
モノを口にしなくても大丈夫だし、木の上で眠るから心配せずに練習
に励んで下さい」
「わかりました 練習見守って下さいね そうしたら安心して跳べるか
ら・・・」
「勿論、そのつもりだよ・・・じゃぁ 明日又此処で」と言ってエンジ
ェルは教室の扉を開けて歩いて出て行った それを視て少女は何だか可
笑しくなって笑顔になった。
選考会の当日となった大学の講堂
少女はすべて真っ白な純白の衣装で控え室で待っていた 不思議に落ち着いていた。あれから5日間の特訓?で毎日エンジェルは来てくれて 適宜なアドバイスや意見を優しく教えてくれたのでとても励みになったし自信になった・・・そして思った・・・エンジェルって名前があるはず・・・どうして尋ねなかったの?と自問した
番号と名前が呼ばれ、大きな舞台のある会場へ向かった 舞台の袖に審査員が数名U字型のテーブルに座っていた 何故U字型?・・・何か可笑しかった・・・ふっわと緊張が解けた・・・さあ、勝負!・・・いや・
・・それは的を射ているのか・・・勝ち負けじゃない・・・楽しく踊ろう・・・その言葉を胸に喫して・・・前に進み出た。
曲目はパッヘルベル カノンのさびの部分からヴィヴァルディ四季の夏の第一楽章を繋ぐ7分余りのダンス・・・一礼して・・・ゆっくりと一歩を踏み出す・・・蝶が羽ばたく小さな動作を円を描きながら、少しずつ∞の図形に変化させ 動きを加速化して大きく踊る。
その場の空間を端から端まで動き、踊り、その舞を加速させた。こんなにも音楽と一体感を持って踊ることが出来るなんて・・・<わ・た・しは幸せ>と呟いた。
もう、第一楽章が始まる<早過ぎない?>と感じながらも、より大胆にステップを早めた。
そして跳躍・・・あぁ綺麗に跳べた・・・次はもっと大きく跳ぶ・・・そして空で一回転・・・あぁ、これも出来た・・・フィニシュに向けて連続の跳躍・・・最後は大きく大きく跳ぶこと。
しかし、少女は踊ることに余りにも夢中になりすぎて 歓びが大きすぎて・・・限界を超えて翼を広げた為に、空中でバランスを失い会場の緞帳に当たり、絹を引き裂くようにして堕ちた。
リハビリセンターの庭
エンジェルと話す少女は晴れ晴れとした顔をして話し出した。
「あの一瞬はまるで過去・現在・未来のすべてが叩き込まれていたよう
に感じたわ。あの瞬間の満ち足りた想いは・・・私の一生の宝物
・・・後悔なんかしていない・・・でもエンジェルあなたの大切な翼
を粉々にしてしまった どう償っていいのかわからない・・・教えて
・・・こんな身体になってしまったけれど・・・」
少女は複雑骨折で生涯車椅子の生活になってしまった。
「ほんとうを言うとね、翼を外した時点で・・・僕はもうエンジェルで
もなにものでもなくなったんだよ」
「ええ、それじゃ嘘をついたの、私のために・・・」
「・・・・・・う~ん いや僕は天使の使命に迷っていた・・・いや倦
むでいた・・いゃ一寸むいていない気がずっとしていて 切っ掛けを
待っていたのかもしれない」
「なるほど、でも・・・」
「人として生きてみようと思ってね・・・」
「人間世界は空から視れば素敵に視えるのかしら?」
「虹のカーテンを広げて閉まってまた別の場所に移動する・・・雨の日
は原則休みだけど・・・雨が上がる頃にはまた・・・結構忙しい でも
みんなの綺麗だという言葉を聞くとね・・・続けていこうと思う訳な
んだけど・・・でもやっぱり機会があれば・・・そう思ってどれだけ
の歳月が過ぎたと思う?」
「アトランティスの時代から数えると1万年位?」
「はははぁ・・・君は・・・なかなかクールだね・・・だけどほんとう
は3万年位かな」
「それは問題では無くて・・・あなたが此処で生きて行くためにはまず
仕事を探さなくちゃいけない・・・何か出来ることある?」
「実を言うと僕の家系はね・・・みんな芸術家肌なんだ・・・つまり
・・・僕は、踊れるし・絵も描くし・笛も吹ける・・・もっともそれ
でお金になるのかどうかはわからないけど・・・」
「そうなの、そうなんだ・・・・・う~ん私は車椅子だけどピアノも弾
けるし、楽器は大抵のものはそれなりに・・・」
「ということは 二人で即興で演奏したり・歌ったり・君の楽器の調べ
に合わせて・踊ったり・絵を描いたり・・・ああ・・・一杯出来るこ
とがある」
「何だかとても楽しくなってきたわ・・・お願い私が笛を吹くから、踊
って!」
少女は、車椅子に掛けてある袋から龍笛を取り出すと 力強く龍笛を吹き出した 曲はエンジェルにとっては初めての旋律であったが・・・
瞑目しその調べが内包するテーマを嗅ぎ分けて 両手の指先に力を込めて赤子を抱くような仕草から 地に円を描くように足を捌き そのループを重ね・・・ずらし・・・繰り返しながらそのループが花瓣のように広がると・・・その中心に立ち、空を目指して跳躍した。
するとその姿を囲うように東南の空に虹の架け橋が現れた。少女はその美しさに吹くことを忘れ泪が頬を伝っていった
踊るのを止めて降り立ったエンジェルは少女の方に駆け寄り・抱きしめて少女の耳に囁いた「二人で力を合わせればきっとうまくいくよ」
「お友達? 祝福してくれているわ」「ああ そうだね・・・感謝だ」 エンジェルは車椅子の後ろに立ちゆっくりと 虹がよく視える丘へと歩き出した。
二人が視る虹は消えることを忘れたように何時までも輝いていた。
少女が呟いた「あなたはやっぱり虹のエンジェル」 了
読み終えた唯は、静一の優しいメッセージに胸を打たれ、微笑み、切羽詰まった想いが解き放たれて、もう一度読み返そうと思った。静一はよほど天使が好きなんだわ・・・そして今の仕事もほんとうは向いていないのかもとも感じた。
その十四に続く
