出雲の地元民は出雲大社じゃなくて○○に行く?→実際に住んでみてわかった”リアル”
出雲に引っ越す前から、ネットでちょこちょこ見かけていた話がある。
「地元民は出雲大社にはあまり行かず、北島国造館の方に行く」というものだ。
出雲大社といえば、誰もが知る日本屈指の神社。縁結びの聖地として、全国から参拝客が絶えない。
一方の北島国造館(きたじまこくそうかん)は、出雲大社のすぐ隣にある、もうひとつの参拝の場だ。
実は出雲大社には古くから、出雲国造家の流れをくむ「千家(せんげ)」と「北島(きたじま)」という二つの家が関わっている。中世以降、それぞれの立場で祭祀や信仰を受け継いできた。私たちが「出雲大社」と聞いて思い浮かべるあの大きな社は千家側が担い、その隣にある北島国造館は北島側が守り伝えている。
そして地元では、北島国造館は親しみを込めて「北島さん」と呼ばれている。みんなが「北島さん」と言うので、私も北島さんと呼ぶようになった。
とはいえ正直なところ、「地元の人は北島国造館の方に行く」というのは、一部の人の話だろうなと思っていた。「地元の人は○○する」と言われていても、実際にはごく一部だけ——そんなことはよくあるからだ。
ところが出雲に移り住んでまもなく、母の幼馴染で出雲に嫁いで50年以上になる方と食事をする機会があった。何気なくこの話を振ってみると、あっさりこう返された。
「地元の人は出雲大社じゃなくて北島さんに行くよ。出雲大社は観光の人が行くところ」

その方は斐川町という出雲大社から少し離れた場所に住んでいて、会社を経営しているのだが、会社のための御祈祷も北島さんでしているらしい。
それでもまだ半信半疑だった。思った以上に北島さんの方へ行く人は多いらしいが、それでもやはり一部なのかもしれない、と。
そんな私が「あ、これほんまなんかも」と思ったのが、節分祭のときだった。
節分祭の日、目の前の光景に驚いた
前の記事でも書いたが、私は出雲大社の年間の祭祀(公式サイトによると年間72回)のうち、気になったものに行くことにしている。なので2月3日の節分祭にも行ってみた。
当日、まずは出雲大社に向かった。到着したときには豆まきがちょうど終わった直後で(四十路、早起きできなくて間に合わず)、参拝客の数もいつもとさほど変わらない印象だった。

※節分祭の話も面白いので、いつか別記事で書きたい。今回は脱線するので割愛。
出雲大社で無料で配られていた甘酒(めちゃうま)を飲みながら、ふと「地元民は北島さんの方に行く」という話を思い出した。北島さんの節分祭はどんな感じなんだろう——気になって行ってみることにした。
実は旅行で出雲を訪れていた頃から、出雲大社とセットで北島国造館(出雲大社のすぐ隣にある)にも足を運んでいた。そこはいつも静かで、参拝客がほとんどおらず、穴場のような落ち着いた空気が好きだった。
ところが——その日は違った。
北島さんの方が、めちゃくちゃ混んでいたのだ!

「え、お正月かな?」と思うくらいの人の多さ。めっちゃビビった。
こ、これは…
地元民は北島さんの方に行くって話、ほんまにほんまなんかも。
出店が出ていて「油屋蒲鉾」という蒲鉾屋さんに行列ができていたので、私も並ぶことにした(鯖蒲鉾がうまいらしい)。


待っている間、前にいた女性となんとなく立ち話がはじまった。そこで「地元の人は出雲大社じゃなくて北島さんに行くって聞いたんですけど、本当なんですか?」と聞いてみた。
「そうよ。地元の人は北島さんに参拝するのよ。あちらは観光客が行くところ。こちらの方が格上でしょ。」
ごく自然な口調でそう言われた。
「格上」。正直びっくりした。だって、どう考えても出雲大社の方がでかいし有名だし、外から見れば「上」のイメージがある。でも地元の人にとっては、北島さんの方が「格上」なんだ…。
なぜ格上なのか——歴史的な正統性の話なのか、信仰の純粋さの話なのか、あるいは商業化していないという意味なのか。正直なところ、その理由まではまだ掴めていない。
ただ、この「格上」という感覚が確かに存在していることだけは、何人もの口から聞いて実感した。

ちなみに、こう言っていたのはこの方だけではない。母の幼馴染も「地元の人はそう思っている」と話していたし、最近行った美容院の美容師さん(出雲生まれ育ち、30〜40代の女性)からも同じ話を聞いた。
彼女自身はふだん神社参拝はしないそうだが、以前ウェディングの仕事で出雲大社での結婚式に携わった際に、地元の方から「北島さんの方が格上」と教わったという。
とはいえ、全員がそういう認識ではない
誤解のないように書いておくと、もちろん「地元民=全員北島さん派」ではない。
出雲市駅の駐輪場でおしゃべりしたおじいちゃんは、「正月は出雲大社に参拝するよ」と言っていた。出雲大社から離れた須佐神社でお話しを聞いた語り部の方は「地元民は北島さんの方に行く」という話を振ると、ピンとこない様子だった。
さらに若い世代は、ふだん神社に参拝する習慣がなく、クリスマスやハロウィンと同じ季節イベントのひとつとして、お正月にだけ友達と出雲大社を参拝し、食べ歩きを楽しんでいるらしい。北島さんが格上なんて話はまったく知らない。
つまり、世代や家庭、地域によってグラデーションがある。
ネットで見かけたような「地元民は北島さんに行く」という極端な話ではなく、「北島さんを大切にしている人が思った以上に多い」、そして「北島さんの方が格上という認識が確かに存在する」。
これが、暮らしてみてわかったリアルだった。

ちなみに、千家側が担う出雲大社について、「千家さんはお商売がお上手」という声もあちこちで聞く。大規模な観光地として全国から参拝客を集めている姿を、地元の人はそんなふうに見ているらしい。これもどうやら、かなり共通した認識のようだ。
※とはいえ、ここまで商売として”大成功”している出雲大社。それもやはり神様のパワー(御利益)があってこそなのではないか、と個人的には感じている。
観光客だった自分には見えなかった出雲
外から眺めていた出雲と、暮らしの中で触れる出雲はやっぱり違う。
同じ神社ひとつとっても、人によって込める意味も、通う理由も、距離感もまるで違う。ガイドブックには載らないけれど、地元の人の中に確かに息づいている感覚がある。
観光で訪れていた頃の自分には見えなかった、もう少し日常に近い出雲。
住み始めてようやく、その輪郭がぼんやりと見えてきた。きっとこれからも、こういう小さな発見を重ねながら、この土地のことを知っていくのだろうと思う。
