お祖母ちゃん子
「この家の中に、左利きの人間はあなたしかいないんですよ」
そう言われた父は、全てを悟ったように、がっくりとうなだれた。
父母、私、妹、そして殺された祖母。
祖母は生涯お嬢様だった。商家の三姉妹の末っ子で、幼い頃から全てを思いのままにしてきたような、放埓な女性だった。外商の人は家まで来てくれるけど、実際にぶらぶら見て歩くのが一番楽しいのよとよく言っていた。デパートで、当時は珍しかったナタデココの巨大な瓶詰を買ってきたこともある。こんな量を買って食べきれるのかどうかなんて、そんなことは考えない人なのだ。
祖父は婿養子で、その年代の男性としては殆ど奇跡と形容しても良いぐらい、配偶者にも孫達にも物腰柔らかく、優しかった。存命中も祖母に威張るようなことは全くなかった祖父は、六十代で肺癌になり、あっけなく亡くなってしまった。広い家に祖母一人なのは心配だと父が言い、母の反対を押し切って同居が始まった。
同居しても祖母は自由で、好きなように生きていた。女学校時代の友達と突然タイに行って、一週間帰って来なかったこともある。
そんな祖母だから、七十歳の時に突然脳梗塞で倒れて、半身が上手に動かなくなった後も、全く卑屈にならなかった。
気の強い祖母に母が泣かされることも多く、しばらくするとヘルパーさんが来てくれるようになったが、祖母が彼女らに指図する様子は、さながら主人と使用人のようだった。
昔から推理小説やサスペンスドラマが好きだった私は、ずっと不思議に思っていた。利き手というのは、それほど絶対的なものなのだろうか。
動作によって利き手が違う人間は、意外と多い。野球選手によくいる「右投げ左打ち」のように、スポーツで有利だからと意図的に変える人だっているではないか。
祖母は、左利きのことを「ぎっちょ」と呼んでいた。父のことを
「この子は『ぎっちょ』が治らなくて」
「まあ、『ぎっちょ』のわりにはきれいな字を書くけど」
「お外で食事する時に恥ずかしいのよね」
と、大人になってもしょっちゅう言っていた。
祖母の言葉一つ一つには、何の悪気もない。ただ、狭い満ち足りた世界で生きてきて、自分の価値観こそが絶対だと思い込んで、それを疑うことを知らない人なだけなのだ。
私は、両利きだ。
娘を「ぎっちょ」だと呼ばせたくなかった母が、左で箸を持つ私に、右で持つよううるさく言い、左で字を書くと手をぶたれたから、右でもできるようになっただけ。
今でも、左で上手に箸も刃物も使える。
父は、そんな母と私の姿を、長い間見て見ぬふりしてきたのだった。
頭を垂れた父の姿を見たくなくて、私は目を伏せ、ただ静かに涙をこぼし続けることしかできなかった。
