【言語学を勉強しよう①】きょうは日本語の狭母音の無声化について勉強しよう

あらすじ

この記事は、架空のキャラクターの間で行われる会話を通じて言語学を学ぶことができる物語形式のコンテンツです。キャラクターにはそれぞれ性格があり、異なる役割が暗黙に与えられています。記事には筆者の主張が反映されています。

ユミ、アミ、カイの3人は、日本語の狭母音の無声化について議論しています。はじめは入門書の内容に沿って無声化の規則の定式化を進めていきますが、アミのひらめきにより、彼らは「無声化」という前提を疑い始めます。

本編

アミ:日本語の狭母音の無声化とは、東京方言などのいくつかの方言において、特定の環境に置かれた短い狭母音が無声化するという現象です。きょうは東京方言について話します

ユミ:特定の環境って? あと、狭母音っていうのももうちょっと具体的にお願い

アミ:日本語における短い狭母音は、ウの短母音とイの短母音です。ローマ字でいうと、u と i です。これらの母音は、無声子音に直接挟まれた場合に無声化するとされています

ユミ:つまり、「母音 u, i は、無声子音に直接挟まれたとき、無声化する」ってことだね。イントロはこれで良さそうだね。アミありがとう。じゃあ、カイ、文献の引用お願い

カイ:まず、『日本語アクセント入門』『日本語音声学入門』『国際音声記号ガイドブック』の記述を書いてくね

[…]母音の無声化とは、母音が前後を無声子音に挟まれるなどの環境にあるときに、無声子音の影響を受けて、本来なら有声音で発音されるはずの母音が無声音で発音されることを言う。
(p. 99)

「パスタ」という単語の発音を観察してみよう。無声化がよく現れる人では、p-a-s-u-t-a のスの母音 /u/ の発音のときに、声帯の振動が止まって、s の息が漏れているだけである(喉骨のすぐ上あたりに指先をあてて確かめることもできる)。この現象が母音の無声化である。
(p. 205)

Matsumori, A., Nitta, T., Kibe, N., & Nakai, Y. (Eds.) 2012. 『日本語アクセント入門』三省堂

共通語などの狭母音(すなわち、[i] と [ɯ])は前後を無声子音にはさまれるとほとんど規則的に無声化を起こす。別の言い方をすれば、その位置では声帝の振動がなくなり、音声的には無声の [i̥] [ɯ̥] として現れる。
例 きた [kʲi̥ta]、ひと [çi̥to]、ちか [t͜ɕi̥ka]、あした [aɕi̥ta]、きっぷ [kʲi̥pːɯ]、くさ [kɯ̥sa]、スキー [sɯ̥kʲiː]、つくえ [t͜sɯ̥kɯ.e]、ふかい [ɸɯ̥kai̯]、チップ [t͜ɕi̥pːɯ]
無声子音と句末のポーズとの間でも無声化が起こることがよくある。
例 バス [basɯ̥]、あし(葦)[aɕi̥]、かし(菓子)[kaɕi̥]、あき(秋)[akʲi̥]、〜です [desɯ̥]、〜ます [masɯ̥]
Cf.  バスに [basɯnʲi]、あし(葦)が [aɕiga]、かし(菓子)を [kaɕi.o]、あき(秋)に [akʲinʲi]、〜ですが [desɯga]、〜ますが [masɯga]
ただし、その部分が高く発音される場合は起こりにくい。
例 あし(足)[aɕi]、かし(貸し)[kaɕi]、あき(空き)[akʲi]
文頭でも起こることがある。
例 いきます [i̥kʲimasɯ̥]
無声化がいくつも続くことは、一般に避けられるので、無声子音に挟まれる狭母音が続いたときは無声化が起こらない部分がある。
例 きくちさん [kʲi̥kɯt͜ɕi̥saɴ] など プクプク [pɯ̥kɯpɯ̥kɯ]
規則的とは言えないが、他の母音でも無声化が起こることがある。
例 こころ [ko̥koɾo]、ほかに [ho̥kanʲi]、かかる [kḁkaɾɯ]、はか [hḁka]
無声化しているということは声帯の振動がないということで、母音の場合は口腔内に破裂や摩擦が起こるような狭めがないから、母音自体は聞こえなくなってしまう。それでも語が識別できるのは主に子音の違いによって意味の区別を保っているからである。
例 くし [kɕi]、きし [kʲɕi]
(pp. 95-96)

Saito, Y. 2006.『日本語音声学入門【改訂版】』三省堂

アクセントのある音節の場合,あるいは長い音節の場合を除いて,無声子音の間にある /i, u/ は無声化した [i̥, u̥]になりやすい。前に摩擦音がある場合にはこれらの母音は完全に脱落してしまうのが普通である。
(pp. 160-161)

岡田秀穂 『日本語』[国際音声学会(編)、竹林滋・神山孝夫(訳)2003. 『国際音声記号ガイドブック—国際音声学会案内—』大修館書店. pp. 158-162]

ユミ:論点多いね

アミ:いろんな現象がごちゃ混ぜになってるけど、きょうやるのは無声音に挟まれた狭母音の無声化だよね

カイ:そうだね。いま引用したところに載ってる限りだと、無声化と言われる現象は、a) 無声子音に挟まれた狭母音の無声化, b) 無声子音に続く句末の狭母音の無声化, c) 非狭母音の無声化, の3つに分類できる。きょうやるのは、a

ユミ:なんでその3つに分類するの?

アミ:コンピタンスとパフォーマンスをごちゃ混ぜにしちゃいけないから

カイ:日本語音声学入門にも書いてある**けど、a は規則的な無声化で、b と c はそうじゃない。b と c は対象と環境が違う。b は「バス」、「葦」、「菓子」、「秋」、「〜です」、「〜ます」っていう例が上がってるけど、これらは発話末で無声化させなくてもいい。c も、「こころ」、「ほかに」、「かかる」、「はか」っていうのは、たしかに自然談話では、話しはじめだと無声化することもあるけど、義務じゃない。これに対して、a に違反して、たとえば単独で「ひと」の母音 i を有声で発音すると非文になる

アミ:「〜です」「〜ます」は義務的かも

カイ:そういわれてみれば、発話末の「〜です」「〜ます」の母音 u を有声で発音すると、ちょっと特殊な文末表現みたいになるね。これは文末イントネーションで整理したほうがいいかもね

ユミ:文法規則として決まってる a と、「そう発音されることもある」とか「コミュニケーション上そういう表現もある」っていうレベルの b と c があるってことだね。じゃあ、きょうやる a の規則の定式化、カイお願い

カイ:こんな感じかな

ユミ:いい感じかも。一応解説もして

カイ:これは、音韻規則を表す式で、矢印の左側が規則の適用対象、右側が適用後の状態。スラッシュの右側は環境条件。アンダースコアのところが対象の分節が当てはまる位置で、条件は左側と右側の分節がどうなってたら規則が適用されるかって形で書いてる。Cは子音で、[voice] は有声性、マイナスは否定だから、左の分節と右の分節の両方が「子音で、かつ、無声音」のときに規則が適用される

ユミ:結果のところの u と i の下についてる丸は? あと、母音の u は本当に u でいいの?

カイ:これは IPA の記号で、無声音って意味。日本語の母音の u は、音声形式は厳密には [u] にならないかもしれない。本当は [ʉ] とか、[ɨ] の方がいいかもしれない。[ɯ] と書かれることもある。つまり、少なくとも一部の環境において、厳密な非円唇後舌母音じゃないことがある。でも規則では u って書いてもいいんじゃないかな。音韻規則では発音記号は素性の束を1文字で表すために使うだけで、必ずしもこれが表層形になるってわけじゃないし

ユミ:確かに、この記号の音が必ずしもそのまま発音されるってわけじゃないから、このままでもいいかも

アミ:C 消せるんじゃない?

ユミ:そうだね。母音はもともと有声ってことにしちゃえば、[– voice] の時点で子音であることが確定するから、要らなそう。厳密には、派生の最初の方にこういう規則があることになるね

カイ:なるほど。最初に母音は有声って指定しておけば、無声化の規則で子音を直接指定する必要がなくなるし、表層での母音の有声性が正しく確定するね。じゃあ、こうかな

アミ:あと母音の方、もっと一般化できる

カイ:そっか。u と i って名指しするより、「狭母音」ってことを書いた方が一般的な式になるのか。母音は V, 狭いっていうのは、舌背が高いってことだから、[+ high]。それから、長い母音は無声化しないから、[– long]

ユミ:うん、それに、無声化のところも、変化の内容だけ書けばいいから「無声化する」ってことを書けばいい

カイ:そういえばそうだ。SPEでも、変更がない素性は省略してた。じゃあ、こうなるかな

アミ:だいたい良さそうだけど、このままだと、無声化するモーラが連続するところが出てきちゃうよ。後続母音の条件も入れないと

ユミ:アミ鋭い。たしかに、このままだと「菊池さん」が [kʲi̥kɯt͜ɕi̥saɴ] じゃなくて [kʲi̥kɯ̥t͜ɕi̥saɴ] になっちゃう

カイ:実際には [kʲi̥kɯ̥t͜ɕi̥saɴ] と発音することもあるかもしれないけど、真ん中のクの母音が無声化することは文法上要求されないから、a の規則ではここの無声化を防がないといけないね。そのためには、環境条件の方に、子音を挟んで有声音が続くっていう条件を書けばいいかな

ユミ:うん、これなら、[kʲi̥kɯ̥t͜ɕi̥saɴ] は出てこなくなる

アミ:でも作業の順序がちょっとデリケートだね

ユミ:たしかに、規則の適用対象の母音を判定して、一斉に変更を適用するやり方だと、やっぱり [kʲi̥kɯ̥t͜ɕi̥saɴ] になっちゃう。それを防ぐためには、たとえば /kikučisaɴ/ っていうこの分節列の右側から順に、それぞれの分節に規則を適用していくようにすればいいかな

カイ:この【右から順に一つずつ規則を適用】っていうやり方でやれば「菊池さん」は大丈夫そうだけど、すべての例が正しく説明できるかはちょっと不安が残るね††

ユミ:うーん、音韻規則がどう運用されるかは、文法全体を考えないと調べられないから†††、とりあえずはこれで進めよう。アミ、具体例書いてみてくれる?

アミ:これでいい?

ユミ:いい感じだね

アミ:書いてて思ったんだけど、これ、無声化じゃなくない?

ユミ:そう? 「企画」っていうときは、キのところには有声の母音はないみたいだけど……あ、まって。アミのいうとおりかも。カイ、ちょっとこの4つ、発音してみてくれる?

カイ:企画。不幸。濁点。牧草

ユミ:カイの発音、こんな感じかな? ɜ はアの母音。ä で書かれることが多いけどそれよりちょっと高め。小さい j は硬口蓋化、つまり、舌背が i を発音するときみたいに前よりに盛り上がること。k はもともと舌背で発音する音だから、硬口蓋化は実際には前進。有声閉鎖音の記号に無声音の記号がついてるのは、他の無声閉鎖音よりもVoice Onset Time、つまり、止めていた域を解放してから声が出始めるまでの時間が短いから、まるで有声閉鎖音の閉鎖区間だけが無声化したみたいだってことでそうした††††

アミ:ほら、母音ないじゃん

カイ:母音が無声化してるんじゃなくて、消えてるってことか。考えてみれば、日本語音声学入門にも、無声化した母音は聞こえなくなってしまうけど、子音の違いがあるから語は区別できるって書いてあったね

アミ:聞こえないし、語の区別にも役立ってないってことは、ないってことじゃん?

ユミ:じゃあ、さっきの規則は間違ってたってこと?

アミ:脱落してても「無声化」って呼ぶ慣習なのかな?

カイ:用語の意味が曖昧になってることもありそうだよね。でも、明確に削除を否定して「無声化」って言ってるものもあるよ。『An Introduction to Japanese Linguistics』だと、脱落じゃなくて無声化だって結論になってる。脱落は明示的に否定されてるから、少なくともこの本では脱落を「無声化」って呼んでるわけじゃない。無声母音が存在するとする理由は、まず、①クテンとクデンなどのペアにおいて長さが等しいこと、次に、②同様に舌の位置が等しいこと、さらに、③無声化した u において唇の丸めがあること、最後に、④母語話者は無声化した母音を有声の母音と同様に聞き取ること。原文も一応書くね。和訳もつけとく

It is interesting to ask whether the high vowels in words like kuten "period" and kitoo "prayer" are voiceless, or are simply non-existent and should be transcribed as [kten] and [ktoː]. There are several reasons to argue that the high vowels are present but voiceless, rather than deleted and absent. First, when we focus on the length of the contrasting words, kuten vs. kuden in figure 2.7, for example, there is no difference between the two words. If the high vowel [u] in kuten were absent and did not have any physical realization, kuten would be expected to be shorter than kuden. Second, when a native speaker pronounces kuten and kitoo, the tongue body is raised for the first part of these words, ku and ki, in a way that is parallel to the tongue position involved in the pronunciation of the first part of the voiced counterparts, kuden and kidoo "starting". Additionally, the lip rounding gesture that accompanies [ɯ] in kuten, although it is not as distinct as its counterpart in English, suggests that the vowel is present without voicing. For example, in a new pair of words, kuten and kiten "starting point", each of the high vowels is between two voiceless consonants, so they are expected to be voiceless. If [ɯ] and [i] were not part of the words at all, the lips should look exactly the same in pronouncing the two words. However, when a native speaker pronounces kuten and kiten, the lips are slightly rounded in kuten but that gesture is not observed with kiten. That is, the articulatory cues, i.e. the tongue position and the lip gesture, remain the same regardless of whether the high vowels are voiced or voiceless. Finally, native speakers perceive voiceless vowels on a par with their voiced counterparts. So, even though all the acoustic cues may not be available to a native listener upon hearing kuten and kiten (e.g. listening to a radio), the distinction between the two high vowels is clearly made and the two words are identified as separate (i.e. [kɯ̥ten] and [ki̥ten]). If the voiceless vowels were simply deleted, however, the listener would hear two identical words (i.e. [kten] and [kten]), contrary to fact. (pp. 26-27)

クテン(句点)やキトオ(祈祷)などの語における狭母音が無声なのか、それとも単に存在せず、[kten] および [ktoː] と転写されるべきなのかは興味深い問題である。当該狭母音が、削除され不在であるのではなく、存在しながらも無声であると主張すべき理由が複数ある。第一に、たとえば図 2.7 のクテンとクデンのような、対立する語の長さに注目すると、両語の間には違いがない。もしクテンにおける狭母音 [u] が不在で、一切の物理的実現を生じないなら、クテンはクデンよりも短いことが期待される。第二に、母語話者がクテンとキトオを発音するとき、舌背がこれらの語のはじめの部分、クとキにおいて、有声の相当物、クデンとキドオ(起動)の最初の部分の発音に伴う舌の位置と並行的な様態で、上昇する。加えて、[ɯ] に伴い唇を丸める運動は、英語における相当物ほど顕著ではないにせよ、当該母音が声なく存在していることを示唆する。たとえば、別のペア、クテンとキテン(起点)では、それぞれの狭母音は二つの無声子音に挟まれているため、無声音であることが期待される。もし [ɯ] と [i] がそれらの語に一切含まれないなら、両語の発音に際して唇は完全に同じように見えるはずである。しかし、母語話者がクテンとキテンを発音するとき、クテンでは唇はわずかに丸まるが、その運動はキテンでは観察されない。つまり、調音的手がかり、すなわち舌の位置と唇の運動は、当該狭母音が有声であると無声であるとにかかわらず依然として同一である。最後に、母語話者は無声母音をその有声の相当物と同様に知覚する。したがって、(例えば、ラジオを聴いている場合などに)クテンとキテンを聞き取るときに必ずしもすべての音響的手がかりが与えられていないとしても、両狭母音は明瞭に区別され両語は別個に同定される(すなわち、[kɯ̥ten] と [ki̥ten])。しかし、無声母音が単に削除されているなら、聞き手は同一の2語(すなわち、[kten] と [kten])を聞き取るはずであり、これは事実に反する。

Tsujimura, N. 2014. An Introduction to Japanese Linguistics. 3rd edition. Blackwell (Obtained via https://www.konan-u.ac.jp/hp/nakatani/js/4_TsujimuraCh2-1.2.pdf). 和訳は note 筆者による。原文における斜体および下線は無視した。

ユミ:やっぱり、無声母音が直接聴こえるとは書いてない

アミ:そうだね。それに、これ、モーラ無視してない?

カイ:そこ、俺も気になった。普通、日本語の音韻論では、分節構成が違ってもモーラ数が等しければ全体の長さは大きくは変わらないと考える。だから、「もし u が存在しなければ、クテンはクデンより短くなるはずだ」っていうのは、ちょっと変だよね。ただまあ、「u がなければモーラ数が少なくなるはず」っていうんだったら、自然な考え方ではあるけど

ユミ:著者は「クテンに u がなければ [kten] だから、2モーラのはずだ」って言いたいのかな?

アミ:さすがに考えすぎだと思う

カイ:うん。英語ではオンセットが子音クラスタでもモーラ数は増えないとするのが一般的****だから、それをもし日本語にも当てはめられるなら***そう考えてもおかしくないけど、結局、引用箇所にはモーラへの言及はない。書いてないことは読み取れない。あと、これ見て欲しいんだけど——

Tsujimura, N. 2014. An Introduction to Japanese Linguistics. 3rd edition. p. 27. (Obtained via https://www.konan-u.ac.jp/hp/nakatani/js/4_TsujimuraCh2-1.2.pdf)

ユミ:文中で言及されてた Figure 2.7 だね。著者のいう通り、クテンとクデンの長さはだいたい同じみたいだけど

アミ:このセグメンテーション、u があるから長いって話が崩壊してる

カイ:そう。本文では、u がなければ短くなるはずだけど、そうなってないから、u があるはずっていうロジックになってる。でもこのセグメンテーションでは、クテンの方では k がすごく短く取られてて、k と u 合わせてクデンの k くらいの長さになってる。クテンで長いのは t の方で、これ一つでクデンの u と d を合わせたくらいの長さがある。クテンの u は k に食い込んだだけで、全体の長さにはほとんど寄与してない

ユミ:クテンの方だけ k がすごく短く取られて、途中から u の領域ってことにされてるね。長さだけ見ると、クテンのクはクデンのクよりもずっと短いから、むしろ u がないと考えたほうが辻褄が合いそう

アミ:二次的調音も無視してるよね

ユミ:カイが書いてくれた理由②と③のことだね。④もかな。まず、②を考えよう。本文では、クテンとクデン、それからキトオとキドオを比べて、舌が同じように上昇すると言ってる。だけど、このクについて舌が盛り上がることを指摘するのはちょっと変だね。[k] は軟口蓋音だから、その直後に母音があろうとなかろうと、舌が盛り上がるのは当然。u は後舌母音だから、もともと調音点が k にちかい。で、アミが言ってくれたのは、キトオとキドオの方かな

アミ:うん。どっちも k は硬口蓋化してるから、母音がなくても、舌の形は i に近くなる

カイ:たしかに。本文では母音削除なら [ktoː] と [kidoː] だからキの部分の下の構えが違うはずって考えてるみたいだけど、正しくは [kʲtoː] と [kʲidoː] を比べるべきだね

ユミ:ここでちょっとややこしいのは、キドオのキの硬口蓋化は母音によって与えられてると普通は考えるってこと。母音がないなら、硬口蓋化もないかもって考えてもおかしくない

アミ:そうだけど、著者が否定してるのは削除と、表層での不在。硬口蓋化とか基底における不在とかじゃない

カイ:アミのいう通り、母音があるのか、ないのかって問題については、本文は一貫して表層での話をしてる。表層に母音があるかないかって話をするなら子音が硬口蓋化した形を考えるべきだけど、そうなってない

ユミ:日本語音韻論では、子音は母音 i の直前では硬口蓋化するというのが常識だよね。これはカイが引用してくれた日本語音声学入門にも書いてあった。実際、キトオもキドオも、キの子音は硬口蓋化した [kʲ] になってる。子音が口蓋化してることは基底の i の証拠にはなるけど、必ずしも表層に [i] があるという証拠にはならない。たとえば基底の /kitoː/ に、まず硬口蓋化を適用して (kʲitoː)、次に母音削除を行う (kʲtoː) なら、SPE†みたいな標準的な音韻論の理論に照らしてもぜんぜん問題ない

カイ:ちなみに、ユミが書いてくれたみたいな規則を順に適用していく方式は、この本自体でも採用されてる*。母音削除と硬口蓋化が両立できないような理論を採用しているというわけじゃないはず

ユミ:アミが「二次的調音を無視してる」って言ったのは、この硬口蓋化もだし、③の唇の丸めもだよね

アミ:うん。円唇化と u の関係は、口蓋化と i の関係と同じで、どっちも子音が母音に逆行同化してるだけじゃないかな

ユミ:同化っていうのは、二つの分節のうちの一つがもう一つの分節の特徴の一部を獲得する現象だよね。特徴を与える側が左にあるときは順行同化、右にあるときは逆行同化だったね。音韻規則ではどう書くんだっけ?

カイ:SPEだと、同化も他の音韻規則と同じように、単に素性の値の変更として記述されるけど、環境にある分節の素性の値が、変更後の値に一致することを表すために、変数の記号としてギリシャ文字を使う。いま話してる狭母音による子音の同化は、だいたいこんな感じで表すことができる

アミ:[high, low] も変数にしちゃダメなの?

ユミ:それは、k とかが非狭母音に同化して [– high] になったら困るからでしょ。[high, low, back] は舌背の位置の素性で、k みたいに舌背を高く持ち上げて作る子音が [– high] だったら成り立たないから

アミ:あ、それはそうだった。でも e, o でも前後と円唇性の同化はあるよね

カイ:たしかに。ケっていうときは k は少し前よりになるし、コっていうときは k も円唇化するね。分けたほうがいいのかもね

アミ:思ったより複雑になった

ユミ:でも、これで硬口蓋化と唇の丸めっていう2種類の二次的調音を記述できた。②と③では、この [high, low, back, round] っていう4つの素性で表される舌背と唇の構えが子音側で記述できる可能性を考慮してないってことになるね

カイ:うん。本文ではキテンとクテンを比べて、クテンの方が唇の丸めがあるから、無声の u があるはずだって言ってるんだけど、基底に u があれば、唇の丸めは [round] の同化があればいいだけだから、削除を否定する理由にはならないね

ユミ:そうだね。i で硬口蓋化するのは、i が硬口蓋音だからだし、u で円唇化するのは、u が円唇母音だから。一度同化が済んでしまえば、母音自体は削除されても、硬口蓋性と円唇性は子音側に残る

ユミ:最後は④だね。これ、ちょっとわかりにくい

カイ:たしかにここはわかりにくい書き方になってる。①から③までは、先に証拠を示して、そこから示唆される結論を述べてたけど、④だけは、先に結論(母語話者は有声の i と u を区別するのと同様に無声の i̥ と u̥ も区別している)を仮定して、そこから説明される現象(キテンとクテンが聴覚において明瞭に区別される)を示してる。そして、仮定が間違い(「無声母音が単に削除されている」)なら、その現象は説明されない(「聞き手は同一の2語(すなわち、[kten] と [kten])を聞き取るはず」)とも言ってる

ユミ:なるほど。背理法だね。でもここでも同化を無視してる

アミ:母音がなくても [kʲten] と [kʷten] は違うから、区別できるのは当たり前。これは日本語音声学入門のカイの引用箇所に書いてあったことと同じ

ユミ:結局、狭母音の無声化って、脱落でも説明できる現象を無声化って言ってるだけなのかな? それとも、ちゃんと無声母音の音声的な証拠があって、今回見た文献ではそれが言及されてないだけ?


(開示:筆者自身は、音声学ではなく、音韻論の観点から、削除説を支持しています。)

(続く(かも)。応援よろしくお願いします)

脚注

脚注は書きながら追加しているため、本文の該当箇所はこの順にはなっていません。

*Wiley 版 (2013) の Google Books のプレビューで確認しました。

**『日本語音声学入門』には「ほとんど」とありますが、文法上はなんらかのかっちり決まった規則があるとここでは考えます。人間は言い間違いをすること、文法の詳細は一人一人異なること、また、ある一つの文法についても完全には記述されていないことなどから、純粋な音声の観察を示す場合「ほとんど」などの量的な留保の表現がつくのは自然です。

***筆者は日本語の CCVN は3モーラあると思っています。理由は教育ローマ字の資料で説明しています。

****英語だけではなく、むしろほとんどの言語において、オンセットはモーラ数に影響しないと考えられています。したがって、クテンなどにおけるCCVが2モーラだという主張は、実はやや挑戦的です。

†Chomsky, N. & Halle, M. 1968. The Sound Pattern of English. Harper & Row.

††これで説明できない例があります。詳しくは過去の記事をご参照ください。

†††どちらかというと筆者側の都合。

††††筆者の発話で実際に計測すると、発話頭の音節のC1C2VにおけるC2と、C1VC2VにおけるC2のVOTはどちらもおよそ30msで、差はあるかもしれないが偶然かもしれないと思う程度です。前者の方が「無気音」らしく(つまり、閉鎖が解放されたら即座に声が出ているように)筆者が感じるのは、単純なVOT以外の要素が影響しているかもしれません。

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