今できること
夜のショッピングモールは、
照明が半分落ちて静まり返っていた。
21歳の警備員、
佐藤健太は
エントランスの椅子に腰を下ろし、
スマホを握りしめていた。
画面には「日本 1-2ブラジル」のスコアが残酷に表示されている。
惜敗。
後半アディショナルタイムに決まった決勝ゴール。
あと一歩、
あとほんの数センチで歴史が変わっていた。
「はぁ……マジかよ」
健太はため息をつき、
制服のポケットから飴を一つ取り出した。
警備員になって三年目。
時給1100円。
夜勤中心。
夢は?
高校の頃はサッカー部で県大会ベスト8まで行った。
でもプロには程遠く、
大学には行かず「とりあえず働こう」とこの仕事を選んだ。
今日もいつものように巡回しながら、
休憩時間に試合を観ていた。
同僚の山田さんが無線で入ってきた。
「健太ー、なんか泣いてる声がしたぞ。負けたか?」
「泣いてねえよ! 目がちょっと汗かいただけだ!」
健太は慌てて否定した。
実際、目頭は熱かった。
でも泣くほどじゃない。……泣いてたかも知れない。
モニター室に戻ると、
先輩の警備員たちが集まっていた。
みんなサッカー好きだ。
「惜しかったなあ。あのラストパス、決まってたら俺ら今頃ビール開けてたのに」
「健太、お前高校時代フォワードだったろ? あの場面で走り込めてたか?」
「走り込めてたよ! ……多分。いや、絶対走り込んでた!」
みんなで笑った。
負けた悔しさは本物だったが、
なぜか笑えてしまう。
サッカーの不思議だ。
勝てば英雄、
負けても「惜敗」で語り継がれる。
日本代表も同じだ。
あの選手たちは明日も練習する。
俺たちは明日もこのモールを守る。
健太は天井を見上げた。
今日をどう捉えるか。
負けは負けだ。
言い訳はできない。
でも、あの試合を見た世界中の人が、
日本が「あと一歩」まで迫ったことを知った。
サポーターの声援、
選手の走る姿、
諦めない姿勢。
それ自体が価値だったんじゃないか。
俺自身はどうだ?
21歳。
警備員。
夢も目標もぼんやりしている。
今日もただ時間を過ごした。
でも、
試合を見て胸が熱くなった。
この気持ちを「ただの負け」で終わらせたくない。
「よし、決めた」
健太は独り言を呟き、
スマホのメモを開いた。
明日、何者になるか。
翌朝、健太はいつものように制服に着替えたが、
ひとつ違うことをした。
休憩時間に近所の公園へ行き、ボールを蹴った。
久しぶりだった。
息が上がる。足がもつれる。
でも笑えた。
「俺、プロにはなれないかも知れない。でも、地域のクラブでコーチやるとか、子供たちにサッカー教えるとか……今できることから始めようぜ」
夜勤の後、
健太はオンラインで地域リーグの情報を調べた。
見習いコーチの募集があった。
時給は安いが、
土日は練習がある。
警備のシフトを調整できるか上司に相談してみようと思った。
数日後、また同じモールで夜勤だった。
今度は同僚の山田さんがスマホを見ながら悔しがっていた。
「また負けた……」
「山田さん、次は勝ちますよ。俺も頑張るんで」
「は? お前が?」
「そうです。俺、明日からちょっと変わるんです。
警備員のままだけど、
別の顔も持つ。『元サッカー少年で、今は地域で子供に夢を届けてる警備員』ってやつ」
山田さんは大笑いした。
「バカかお前は。カッコつけすぎだぞ」
「
いいんです。ちょっとカッコつけないと、21歳でこのままじゃ終われないんで」
モールの自動ドアが開く音がした。
遅くの帰宅客が通り過ぎていく。
健太は背筋を伸ばして立った。
制服は相変わらずダサいが、
胸の内側は少し熱を持っていた。
ワールドカップの惜敗は、
日本中に「あと一歩」の悔しさを残した。
でもその悔しさは、
明日への燃料になる。
健太にとって今日の負けは、ただの終わりじゃなかった。
今できること——
それは、今日の自分をちゃんと見て、明日少しだけ前へ踏み出すこと。
健太は無線を握り、いつものように言った。
「異常なし。……ただし、俺の心臓は今、動き出したみたいだ」
夜のモールに、21歳の小さな決意が静かに響いた。
