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「AIの書いた記事は読みたくない」って言ってる奴ほど、定義がフワフワしてね?

「AIの書いた記事は読みたくない」そんな声を最近よく見る。
でも、そもそも“AIが書いた記事”って、どこからどこまでを指すんだ?

AIがゼロから考えを生み出した? それとも、整形だけ任せた?
アイデアは自分で出して、文章の骨組みを整えてもらっただけなら──それって本当に「AIが書いた記事」か?

AIに丸投げして、コピペだけしたように見える記事がつまらないってのは、俺も同意する。
でもさ、それはAIが悪いんじゃなくて、考えることを放棄してるそいつがつまらないだけだろ?
むしろ、AIをツールとしてうまく使って、自分の中にあるドロドロしたものや視点を、読み手に分かりやすく伝わる形に昇華させているなら──それは十分“人間くさい”記事だと俺は思う。

AIの書いた記事を必要以上に嫌悪する人を見ていると、
お薬で捕まったミュージシャンを叩く人たちと重なって見える。

「そんな人だと思わなかった」って言うけど──
要は、ポン中が作ったメロディや歌詞にまんまと感動してたんじゃねぇの?
お薬やってたことを見抜けなかった、自分の節穴っぷりは棚に上げてさ。
その悔しさやショックを、必要以上に相手を責める形で発散しているだけに思える。

それと同じで、AIが書いたかどうかなんて、百発百中で見抜けるわけじゃない。
だったら、そんなに嫌悪する必要もなくねーか?

そもそも記事を読む理由って、自分にはなかった考え方や感覚を知りたいからじゃないのか。
だったら、それがAIの力を借りていようがいまいが、面白いならそれでいいだろ。

俺は、自分の考えがちゃんと読み手に届くなら、AIを使うのも全然アリだと思ってる。
むしろ、頑なにAIを拒んで「自分の頭だけで」書くことにこだわった結果、
何を言いたいのか分からない記事になる方が、よほど読み手の読む気を削ぐと思ってる。

説明がヘタな奴の話を延々と聞いているときの、
「で、結局何が言いたいの?」っていう、あのモヤモヤに近い感じな。

結局、AIを使うかどうかが問題じゃなくて、
自分の頭の中にあるものを、どうすれば相手に届く形にできるか──
そこを考えているかどうかが、本質だと思う。

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