あんたにとって都合の悪い真実を知りたくないのなら、この記事は見るな
人の気持ちを動かすには、こうした方がいいですよーって、
noteには“語る人”ばかりが溢れてる。
でも、“見せる人”は少ない。
俺は、動かしたいなら、語るな。仕掛けろよ、と思ってる。
たとえば今、この記事を開いてしまったあんた。
「見るな」と言われたのに、見てしまったろ?
なぜか。
人間ってのは、“やっちゃダメ”って言われたことほど、やりたくなる生き物だからだ。
それが行動の本質だ。
「フォローお願いします」「スキしてね」って言って、してもらえる理由。
相手が優しいから? 違う。
“自分がそうすることで、あとで自分もしてもらえるかもしれない”
そういう“見返りの期待”があるから人は動く。
つまり、他人の行動の動機は、常に「自分のため」だ。
他人は、あんたのために記事を読むんじゃない。
自分の時間、自分の価値、自分の欲を満たすために読むんだ。
ここをわかってないと、いつまでも「なんで読まれないの?」って嘆き続けるだけになる。
人を動かすってのは、綺麗事じゃない。
むしろ卑怯で、ずるくて、計算でしかない。
でもそれを、正々堂々と仕掛けることが、
俺は「人を動かす」ってことの本質だと思ってる。
あともう一つ、信じるってことについても言いたい。
「信じたのに裏切られた」って、よく人は言う。
でもそれ、順番が違う。
裏切ったのは相手でも、「信じよう」と決めたのは、あんた自身だ。
それは“信じた結果”じゃなくて、“信じると決めた選択”だ。
だから、裏切られたからって、その責任をすべて相手に投げつけるのは違う。
何度も言う。
人を動かすってのは、綺麗事じゃない。
言葉で操るんじゃない。
構造で動かすんだ。
