平等を叫ぶ者が優遇を語らない“構造の矛盾”の暴き
「もっと女が活躍できる社会に」
「男社会の中で女はつまはじきにされてる」
そんな声がSNSを中心に日々飛び交ってる。
その気持ちは分かる。実際、そういう構造があるのも事実だ。
でも俺は思う。
平等を叫ぶなら、“優遇”にもちゃんと触れろよ、と。
たとえば、女性専用車両。
映画のレディースデイ。
相席居酒屋での価格差。
SNSでの女性への過剰な擁護。
こういった “女性優遇の仕組み”について、
平等を主張する連中がダンマリなのは、あまりにも都合が良すぎる。
都合が悪いときは「平等」を盾にして、
都合がいいときは「女だから」で特権を取る。
そんな平等論に、俺は強烈な違和感を覚える。
本来、平等ってのは
「得るものと同時に、失うものも許容する」ことじゃねぇのか?
なのに、今の“フェミ的な主張”には、
都合のいいメリットだけ欲しがって、代償からは目を逸らす姿勢が目立つ。
それじゃただのわがままだ。
そして、もう一つ俺が黙っていられないのが性加害の問題だ。
まず言っておくが、性加害をするような男はクソだ。
どんなに立場が上だろうと、どれだけ名声があろうと、それだけは許されない。
ただ、それと同時にこうも思ってる。
どっちかが100%悪い、なんてことは世の中にはほとんど存在しない。
性加害のような事件にしても、
たとえば芸能界で「会社の指示で差し出された」みたいな話が出ることもある。
もちろん、加害者が圧倒的に悪い。
でも、いくらそっちだけを叩いたって、そういう事件はなくならない。
じゃあ、どうすればいいのか?
俺はこう考える。
非が少ない側が、“どう自分を守るか”を考えなければ、根本的な解決にはならない。
たとえば日本には、強烈な“同調圧力”がある。
「断れなかった」「空気に逆らえなかった」──
それも分かる。
でも、どんなに空気が重かろうが、
最終的に自分の身を守るのは、自分しかいない。
極端な話、
国から「お前は死ね」って言われたら死ぬのか?って話だ。
誰も責任なんか取っちゃくれねぇ。
大人である以上、最後は自分が自分を守るしかない。
その観点から見たとき、俺はこうも思う。
XなどのSNSで、自分の性を売り物にしてる女がいる。
その女に群がる男もいる。
それ自体を否定する気はない。金の稼ぎ方は人それぞれだ。
でも──
なぜ、他の女性たちは、そこにNOを突きつけない?
性を売るような構造を誰も批判せず、放置してる。
そしてその一方で「性被害は許せない」と言う。
それって、自ら“性が商品になる文化”を後押ししてる面もあるんじゃねぇのか?
俺はこの矛盾がどうしても気になる。
そして、どうしても言いたい。
「女だから守れ」じゃなく、
「人として自分の身をどう守るか」って思考に立たない限り、
本当の意味での平等も、自由も、安心も手に入らねぇ。
正義に酔うな。筋を通せ。
平等を語るのはいい。
性加害に怒るのも当然だ。
でもそれなら、自分たちの都合のいい部分にも目を向けろ。
正義は振りかざすもんじゃねぇ。
“矛盾と向き合った先にだけある筋”が、本物の正義だ。
