映画『ブルーボーイ事件』
最初に昔(ロマンポルノの頃?)の「日活株式会社製作」というオープニングクレジットに監督のセンスを感じたし、1965年当時の怪しい雰囲気も醸し出しており、その「気持ち悪さ」が素晴らしい。
しかし内容はいまだに解決を見ない重いテーマがのしかかる。主人公のサチが「私を見て欲しい」と言うのだが、結局、LGBTQ+を突き詰めて行くとそうなってしまうのである。しかしそれは人間の頭では処理しきれないために「とりあえず」男と女に分けられたはずなのであり、親密になれば最終的に「私」という個人にまで行き着くのであろうが、「私」自身が「私」のことを知らないこともけっこうあり得るのだから難儀な話なのである。
難しい話になってしまいそうなので、例えば文壇というものを考えてみる。最初は芥川龍之介賞と直木三十五賞があった。やがて三島由紀夫賞や山本周五郎賞など次々と文学賞が創設されたのだが、結局、文学に興味のない人たちにとっては芥川賞と直木賞しか知らない状況である。
文壇が難しいならばお笑いの賞レースを考えてみてもいい。M-1グランプリが創設されたのが2001年で、R-1グランプリが2002年、キングオブコントが2008年で、最近になってお笑いの賞レースが次々と創設されたのだが、結局お笑いに興味のない人たちにはM-1とキングオブコント以外の優勝者はほぼ知られることはなく、最近ではR-1で優勝してもテレビに出演さえできなくなっているのである。
文壇やお笑いならば興味のある人は限られるから別に知らなくても問題にはならないものの、性に関しては全ての人間の関心事であるにも関わらず、人類全体から見るならばほとんどの人が「男」と「女」の単純な区分で特に不満がないために難しい問題なのである。
