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吉行淳之介『驟雨』と「転職」

 吉行淳之介は昭和29年2月号の『文學界』に発表した『驟雨しゅうう』で同年の第31回芥川賞を受賞している。30歳になろうとする頃である。
 主人公の山村英夫は大学を卒業して三年目で、おそらく25歳くらいであろう。

 現在の彼は、遊戯の段階からはみ出しそうな女性関係には巻き込まれまい、と堅く心によろいを着けていた。

『原色の街・驟雨』p.148

 ところが彼は「今度お会いするまで、わたし、操を守っておくわね(p.154)」とささやく道子という名前の娼婦と出会ったことから、道子と会うために娼家しょうかに通うようになる。
 そんな時に山村の同僚の古田五郎が会社の重役の娘と結婚することになる。明らかに「出世の約束手形(p.164)」を得るための手段だと山村は思うのだが、それは古田が女を「買う側」から「買われる側」に移ったことを意味すると同時に、そもそも結婚そのものが「ビジネス」の形態の一種とみなされてもいるのである。
 古田の結婚披露宴が終わった後に、道子に会いに行ったのだが、既に先客がいたため40分ほど時間を潰していてくれと頼まれる。

 二杯目の酒を注文した彼は、寛大な心持になろうとして、次のような架空の情景を思い浮かべた。……それは、道子に馴染んだ男が数人集って、酒をみかわしているのである。
「いや、なんとも、あのはいい女でして」「まったくお説のとおりで、これをご縁にひとつ末長くおつき合い願いたいもので、ハッハッハ」……そんな馬鹿げたことを空想している彼の脳裏に、ぽっかり古田五郎の顔が浮び上った。
 いま、彼の頭のなかで響いた「ハッハッハ」という笑い声は、古田五郎が商取引のとき連発する笑い声の抑揚であったからである。

『原色の街・驟雨』p.175

 山村が道子との関係を「ビジネス」と捉えようとしていることは古田のエピソードを思い出していることからも分かるのだが、ここで思い出すべきシーンはタイトルにもなっている「驟雨」の場面である。
 山村が道子を誘って喫茶室に立ち寄った際に、悪戯心で山村は道子の「皮膚によどんだ商売の疲れ」を朝の光であばきたてようとしたのであるが、そんな時に一本のにせアカシヤからおびただしい緑の葉が一斉いっせいに離れ落ち、その光景が驟雨に例えられたのである。

ある期間かかって少しずつさびしくなってゆく筈の樹木が、一瞬のうちに裸木となってしまおうとしている。

『原色の街・驟雨』p.172

 明らかにその一本の贋アカシヤは山村の擬人化で、もはや山村はビジネスの「寂しさ」に耐えられなくなったように思われる。昭和29年に男性が25歳で結婚することは決して早すぎることはないと思う。