自他を助けられる人とは?
ふと目に入った、和尚の『神秘家の道』という分厚い本を手に取り、栞の挟んであるところを開いたら、今の私の状況にぴったりのことが書かれていた。
親との関係で、手痛い、辛い経験をした人、傷つけられて、怒りを抱いている人にも、何ほどか、自分の経験についての理解を得られるのではないかと思われる。
この本は、いろんな人の質問に和尚が応えるという形で、編まれている。
栞の挟んであるところは、「第15章 本当の豊かさ」というタイトルがつけられている。
両親に怒りを抱きながら、そこからの助けを求める人
こういう質問で講話は始まる。
“私は初めて自分の両親に腹を立てています。彼らは素朴な人々で、私は自分に、彼らがあなたを理解していないのは、彼らのせいではないと言い聞かせています。けれども私の怒りは余りにも私の愛と矛盾するので、私を傷つけます。私はこれを書いていてあまりにも腹を立ててしまい、質問を明確に述べることもできません。どうか助けていただけませんか?”(OSHO『神秘家の道』市民出版社、2009、p,307)
質問者は、両親が自分について無理解なのは、彼らのせいではないとわかりながらも、自分の怒りをどうにもできない。
そればかりか、その怒りが自分を傷つけることをわかっていて、助けを求めている。
これは、数年前、両親からされてきたことに私がはっきり氣づいた時の氣持ちを、とても正確に表していると感じた。
和尚はこの質問に、非常な理解力とやさしさと明晰さを持って答えていく。
文章を読む私にも、はっきり感じられる。
両親の意図はよいが、意識は無に等しい
「かわいそうな両親が知らずに、無意識で自分にしていることを理解したら、どんな子供でも腹を立てるだろう」(p,307)と、和尚は言う。
そして、両親の「努力はすべて、子供に良かれと思ってのことだ」(p,307)と、両親の意図は良いことを指摘する。
しかし、意図は良いのだが、「その意識は無に等しい」(p,307-308)と続ける。
“無意識の人々の中にある善意は危険だ。彼らは自分が意図した結果をもたらすことはできない。彼らはまさにその反対を生み出すかもしれない。”(p,308)
和尚は、あらゆる親が、この世に素晴らしい子供をもたらそうと試みながらも、結果は全く逆になっており、この世が孤児院だらけだったらましだっただろうとさえ、言う。
なぜなら、もしこの世が見渡す限り孤児院だったら、「少なくとも人は自分自身であり――自分に介入する両親はいなかったはずだから」(p,308)だ。
そう言いたくなるほど、明晰さを欠いた親の良い意図は、子供への介入となって、子供を深く傷つけているように、和尚の目に映る。
怒りは役立たず、自分をも傷つける
しかし、彼は、質問者の怒りは自然なものだが、役には立たないと指摘する。
腹を立てることは両親を助けることはないし、自分をも傷つける。
そして、ゴータマ・ブッダの不思議な言葉を紹介する。
ブッダはこう言ったとされている、「人は腹を立てることで、誰か他の人の失敗が故に自分を罰しているのだ」(p,308)と。
この、「腹を立てるということは他の誰かの過ちのために自分を罰することだ」という言葉は、初めて聞くと、実に不思議な言葉に思えないだろうか。
和尚は、質問者や同様の思いを抱えている人が怒りを抱くのに理解を示しながらも、その怒りは誰をも助けず、あなたの中にもっと傷を作るだけだ、という。
子供たちはどんな風に育てられるのか
そして、「これからあなたに、子供たちがどんなふうに育てられていくのか、その仕組みのすべてを説明してみよう」(p,308)と述べる。
最初に和尚は、「何であれ起こったことはすべて、起こるべくして起こったのだということを、あなたはもっと理解すべきだ」と、言う。
なぜなら、両親がしたことというのは、そのまた両親によって条件づけられたものであり、世代から世代に引き継がれてきたものだからだ。
私は、自分が虐待を受けていたと氣づいた時、最初は、怒りと悲しみを感じた。
自分が受けていたのが、”虐待”と氣づいたきっかけは、こちらに書いた。
しばらくすると、なぜそうなのか、なぜこうだったのかを必死に理解しようとした。
そして、両親共に、そのまた両親からやられたことと、両親自身の無意識のパターンを、子供たちにしたに過ぎないのだとわかった。
確かに今でも、理由のよくわからないことは多々あるし、傷つくこともあるが、その時の学びのおかげで、両親を少し違った風に見ることができる。
“あなたの両親は、自分がされたこととまさに同じことをしている。彼らは犠牲者だ。あなたは彼らに同情を感じ、また自分が同じことを自分の人生で繰り返さないことを、喜ばしく感じるだろう。あなたが子供を持とうと決心したら、喜びを感じることだろう――あなたがその悪循環を断とうとしていること、あなたがこのことの一番最初から自分まで続いてきたラインを、飛び出そうとしていること、自分がその行き止まりになれることに。あなたは自分の子供にも、他の誰の子供にもそれをすることはない。”(p,308-309)
和尚の言葉はよくわかる。
そして、私は、両親が、自分の孫たちに、時に暴力的な接し方をする時、できる限り止め、やめるように懇願してきた。
姪たちには、私と同じ苦しみを経験させたくない一心だった。
それが報われたかどうかはわからない。
が、完全に両親のパターンを受け入れていたら、多分、こんなことはしなかっただろう。
親子の間で起きていることを説明できるマスターに出会えた好運
「あなたは好運だと感じることだ」と和尚は言う。
なぜなら、「誰もが最善を尽くしていながら、ますます悪くなり続けて行く世界の中で」、「親子の間に何が起こってきたのかを、説明してくれるマスターが」いて、「複雑なしつけ、良い意図と悪い結果について説明してくれるマスターがいる」(p,309)からだ。
私の場合は、この問答が入った本に出会えたことが好運だと言えるだろう。
両親は、マスターを持てるほどに好運ではなかった。
にもかかわらず、私はその彼らに腹を立てている。
“あなたは彼らの優しい気持ちや慈悲、愛に満ちた気持ちを感じるべきだ。何であれ彼らがしたことは無意識だった。彼らには他に方法はなかった。自分の知っている限りを、あなたに試みた。彼らは惨めだった。そしてこの世に、別の惨めな人間を生み出した。”
そう、私の両親には他に方法がなかった。それは、わかっている。
何故自分が惨めなのかについて、両親には明晰さがなかったと、和尚は指摘する。
暴力の源を、明晰に理解できれば、同じことを繰り返すことはない
“あなたには、何故人は惨めになるのかを理解するだけの明晰さがある。そしてひとたび不幸というものが、どのように生み出されるのかを理解すれば、あなたは他の誰かに同じことを引き起こさないようにできる。”(p,309)
どうして、両親は、私にあれこれの仕方で暴力を振るったり、尊厳を否定したり、侮辱したり、病気を笑ったりしたのか、そのすべてが何に由来するかをしっかり理解できれば、他人に同じことをしようとはしなくなる。
続けて、和尚は、あなたの両親に同情しなさい、と言う。
なぜなら、「彼らは懸命にやった。彼らは自分にできることは、すべてやった。ただ、心理の働き方を何も知らなかった」(p,309)からだ。
両親が私にしたのが、”虐待”と氣づいた後、私の関心は、無意識を解き明かす心理学に向った。
それ以前も、心理学には興味があって、読んでいたが、今回は、”虐待”の心理的要因の解明といった視座で読むことになった。
両親には基本的なことが欠けていた
和尚の言葉に戻る。
両親は、「キリスト教徒になる方法、マルクス主義者になる方法、洋服屋になる方法、配管工になる方法、哲学者になる方法を教わった」が、基本的なことが欠けていた。
“子供を生むつもりなら、その人たちとって最も重要な教えは、母親になる方法、父親になる方法であるべきだ。”(p,309)
“生理的に子供を生むということと、母親か父親であることとはまったく別だ。それにはかなりの教育が必要だ。何しろ、その人が創造するのは人間なのだから。”(p,310)
自分の両親が置かれていた状況を理解できるのは、幸運だと、和尚は言う。
確かに。
両親の置かれていた状況を理解できなければ、自分の境遇の本質もわからず、自分がされたのと同じことを、どこかの誰かに、無意識にやってしまうとなれば、それは不運だと、私は思う。
“彼らはあなたに特別に何かをした訳ではない。彼らは自分たちに生まれてきた子供なら、誰でも同じことをしたに違いない。彼らはそうプログラムされていた。彼らは無力だった。そして無力な人々に腹を立てることは、単に正しくない。それは不当であり、不公平であり、それ以上にあなたにとって害になる。”(p,311)
母の過干渉に、兄弟は異なる形で、自分を守った
両親の内、母は過干渉だった。
父は、止めようとしたようだが、頑なな母は、それを遮ったという。
年の離れた兄は、過干渉から自分を守るために、攻撃的になるという形で防衛策を講じた。
それは小さい頃にはやむを得ないものであったが、大人になった今も解除されないことが、彼と彼の家族に余計な混乱を引き起こしている。
兄が攻撃的になることで己を守ろうとしたのとは違って、私は内に自分だけの世界を作ることで、過干渉から身を守った。
今は、そうした傍観者的振る舞いは、かなりなくなった。
そして、両親のそのまた両親のしたことや、両親のしたことを理解することで、兄や私が受けてきたものが何だったのかを、理解した。
本当に、腑に落ちれば、怒りを手放せる。
自分が何をしているかについて理解を持っていなかった両親に腹を立てるのは、和尚の言うように、不当なことだと思う。
もちろん、時に、それを忘れそうになることは、今でも発生するが。
両親は群衆に従ったが、子は群衆の外に飛び出してしまった
また、和尚は、質問者とその両親の違いを、こう述べている。
“あなたの両親は正常な人たちだ。彼らはただ群衆に従っているに過ぎず、その方が安全なのだ。あなたはその群衆の外に飛び出してしまった。あなたは冒険家で、危険な道を選んでしまった。もし彼らが危険な生活様式を望まないなら、それは彼らの選択だ。あなたの怒りの原因になることはない。”(p,311)
私自身にも、これは当てはまる。
また、社会洗脳から目覚め、家族に真実を伝えようとして、手痛い目に遭っている人たちにも、いくらか、当てはまると言えるかもしれない。
自分は、両親の助けに、どうしたらなれるか?
どうしたら、私や、この質問者のように両親や親しい人たちに怒りを抱いている人が、彼らの助けになれるだろうか。
「あなたは本当に彼らの助けになれる」と、和尚は言う。
どうやって?
議論によってか?
和尚は、「議論は決して誰も変えはしない」(p,311)と断言する。
では、どうすればいいのか?
“もっと意識的で、もっと油断なく覚め、もっと愛に満ちた個人になることによってだ。そういうあなたを見ることだけが、彼らを変えられる。あなたのそれほどの劇的な変化を見ることだけが、もしかしたら自分たちが間違っているかもしれないと、再考させることができるのだ。他に道はない。(中略)人々を変えるものは、あなたの個性のカリスマ、磁力、魅力しかない。そうなれば、あなたが触れるものはすべて黄金になる。”(p,311)
愛に満ちた個人が、人々を変える
『スター・ウォーズ』で、ダークサイドに堕ちたダースベイダーを救ったのは、息子ルークの愛だった。
“ルークはベイダーに善の心が残っていることを信じていた。その一点の理由のみで、彼は父をダークサイドから救済することを誓う。他人がどう思おうと関係なかった。ベイダー自身が自分を信頼しなくてもよかった。失敗すれば死ぬまでだ。ただ、純粋に父を救いたかったのだ。”
(ジャン=クー・ヤーガ『ジェダイの哲学 フォースの導きで運命を全うせよ』学研プラス、2017、p,215)
映画『ジェダイの帰還』より。
ルーク:こんなところに置いていけないよ。助けなきゃ。
ベイダー:すでに助けてくれたよ、ルーク。おまえが正しかった。
私については、おまえが正しかった。(You were right about me.)
うまく伝わるかどうか、わからないが、英語の”You are right.”という表現は、単に意見が正しいというだけでなく、相手に対する全き肯定のニュアンスもあるように感じる。
議論では、こういうことは起こらない。
自己変容にエネルギーを注げ!
ゆえに、和尚は、「自分のエネルギーを、自分自身を変容することに注ぎなさい」と勧める。
“あなたは、腹を立て、もはや存在しない過去との闘いに時間とエネルギーを浪費するよりは、自己本来の個が魅力的になることに全エネルギーを注ぎなさい。そうすれば、あなたの両親があなたを見たとき、彼らはあなたが育てた新しい質、自ずと人に印象を与えずにはおかないような質に触れずにはいられなくなる。あなたの新しさ、あなたの理解力、その無条件の愛、むしろ怒りがふさわしいような状況の中にさえ現れるあなたの優しさに、触れずにはいられない。”(『神秘家の道』p,312)
“一言も言う必要はない。あなたの目や表情、行為、あなたの振る舞いや応答が、その人たちの中に変化をもたらす。その人たちは、あなたに何がおこったのか、どのようにそれがあなたに起こったのかを、探求し始めるだろう――なぜなら、誰もがそういう質を望んでいるからだ。それこそが真の豊かさだ。”(p,312)
もちろん、今の、危険なワクワクの情報を伝える行為自体が、間違っているのではない。
だが、少し前の記事で書いたように、相手が聴く耳を持っていないならば、何かを言ったり、情報を伝えたりすることは、完全に逆効果になる。
そういう時は、自分の扉をちょっとだけ開けておいて、自分のエネルギーを、自分自身の変容に振り向けた方が良い。
自己変容が自分と両親の助けにつながる
自分自身を変容すること、それが、「あなたを助け、あなたの両親を助けることになる」と、和尚は言う。
“もしかしたらそれは、連鎖反応を起こすかもしれない。(中略)それはちょうど、あなたが静かな湖の土手に座っていて、その湖の中に小石を投げ込むようなものだ。ほんの小さな小石だから、最初は小さな輪ができるだけだ。だが次々と輪が広がり……それは、湖が及ぶ限りの遥かな果てまで広がり続ける。が、それはほんの小さな石に過ぎなかった。”(p312)
“本当の個性の小さな漣(さざなみ)を創り出しなさい。そうすれば、それはたくさんの人々に到達する――そしてもちろん、あなたに最も関係の深い人たちのところにも。”(p,312)
怒りを手放して、愛に満ちた個人になりたい
4/4(日)のことだけでなく、これまでのことも、きちんと謝罪してほしいという思いが、母に対して、ある。
でも、そういう思いは、いずれ、怒りとなって、私を傷つける。
確かに、4/4(日)のことは辛かったし、今でも、怒りと困惑を感じるが、母が置かれてきた状況を、私は理解できるのだから、和尚が言うように、同情するのが、望ましいあり方なのかもしれない。
和尚は、それが簡単だとは一言も言っていない。
“もっと意識的で、もっと油断なく覚め、もっと愛に満ちた個人になること”は、容易なことではない。
まだまだ、努力をする必要がある。
でも、これは、やってみる意味が大いにあることだと思う。
両親が持っていた子育てのパターンを始めたのが、先祖のどの辺りかはわからない。
しかし、私の代で、これを止める。止めてみせる。こんなパターンは、誰も、幸福にしないからだ。
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