見出し画像

音楽家養成1:音楽家は、本当に「職業を選べている」のか――日本の音楽家をめぐる制度不備と、空洞化した職業選択の自由


第1章 「音楽家になる自由」は、本当に保障されているのか

 日本では毎年、芸大・音大を卒業し、「音楽の道」に進もうとする人が一定数生まれる。ここでいう「音楽の道」とは、趣味ではなく、音楽家として仕事をし、収入を得て生きることを指す。
 だが、冷静に現実を見渡すと、強い違和感が立ち上がる。
多くの音楽家は、
・休日や不定期の演奏会でしか演奏できない
・平日は音楽と無関係な仕事をしている
・音楽に関われたとしても、収入は生活を支える水準に達しない

それでも社会は、こう言う。

「音楽家なんて、そんなものだ」
「好きで選んだ道なのだから、自己責任だ」

しかし、ここで立ち止まる必要がある。本当に、これは「自由な選択」の結果なのだろうか。

第2章 不透明な競争と、事後的に突きつけられる自己責任

 日本の音楽家をめぐる最大の問題は、競争のルールが可視化されていないことにある。

・何を満たせばポストに就けるのか
・どの能力が、どの程度評価されるのか
・誰が、どの基準で判断しているのか

これらが、ほとんど説明されない。反面、結果だけが示される。

* 採用された
* 採用されなかった

そして、採用されなかった人には、直接・間接にこう言われる。

「実力が足りなかったのだろう」
「努力が足りなかったのではないか」
「運も実力のうちだ」

だが、ルールが見えない競争において、敗因を個人の内側に回収すること自体が不誠実だ。これは公正な競争ではない。説明責任を欠いたまま、結果だけを個人に引き受けさせる不透明な構造である。

第3章 才能選抜ではなく、「適応力選抜」が行われている

 この問題は、日本特有の教育・労働構造と結びつくことで、さらに残酷になる。

日本では、
・自己分析を体系的に学ぶ機会がほとんどない
・自分の能力を言語化する訓練がない
・にもかかわらず、ある日突然、「就職活動」が始まる

その結果、何が起きるか。
* 書類をうまく書ける人
* 自己演出が得意な人
* 声が大きく、前に出られる人

こうした人が、音楽的実力とは別の理由で評価されやすくなる。
 一方で、

* 演奏能力は高い
* 音楽的成熟がある
* だが自己PRが苦手

こうした人は、制度上、ふるい落とされやすい。これは、才能選抜ではない。適応力選抜である。この点に、多くの音楽家が納得できずにいる。それを問いの形にすればこうなるだろう。

「俺も、あいつと同じ実力があるのに、なぜあいつだけ?」

この感覚は、嫉妬や僻みではない。評価の基準が見えないことへの、正当な疑問である。

第4章 多大な投資の末に待っている「丸投げ」

 さらに深刻なのは、音楽家になるまでの過程だ。
 芸大・音大に進むには、一般的な大学以上の学費、楽器代、レッスン費、留学費、時間と身体への大きな負荷が必要になる。
 実力があっても、親の経済力がなければ進めないケースすらある。つまり、日本では、制度的基盤・相当な経済力があって初めて、音楽家になれる。
 にもかかわらず、なった後の生活基盤の構築は、完全に個人任せだ。
 社会は音楽家を必要として育てる。だが、その後はこう言っているかのようだ。

「あとは自分で何とかしてください」

これは、法治国家として、異常な構造である。

第5章 成功者の称賛が、制度の欠陥を隠す

 この構造をさらに見えにくくしているのが、日本特有の「成功者称賛文化」だ。
 不透明な競争の末にポストを得た人に対し、社会はこう語る。

「あの人は実力があった」
「努力が報われた」

だが、本当に問うべきなのは、その人が選ばれた理由である。それを問わず、「実力」という言葉で全てを回収してしまうと、運・偶然・コネ・構造的欠陥が不可視化される。結果として、ポストに就けなかった側の違和感は、「言ってはいけない感情」として封じ込められる。制度への怒りは行き場を失い、自己否定へと変換されていく。

第6章 これは「個人の問題」ではない

 ここまで見てきたように、

* 不透明な競争ルール
* 適応力選抜
* 教育と雇用の断絶
* 成功神話による思考停止

これらは、個々の音楽家の問題ではない。日本社会が、音楽家を「育てること」と音楽家が「生きること」を切り離して設計してきた結果である。この状況を、「自己責任」で片付け続ける限り、くすぶる音楽家は減らない。そして、この構造を放置する、どんな憲法的正当性があるというのだろうか。

第7章 問い直されるべきもの

 この論考で最も投げかけたい問いは、ただ一つだ。

 音楽家は、本当に「職業を選べている」のか。

もし、選択肢が提示されず、ルールが説明されず、結果だけを引き受けさせられるのだとしたら、それは自由とは呼べない。
 これは、音楽家だけの問題ではない。だが、音楽家ほどこの矛盾を鋭く引き受けている存在も、そう多くない。
 この国は、文化を愛しているのか。それとも、文化を語る言葉だけを愛しているのか。
 その問いは、今も宙に浮いたままだ。


何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

日本国憲法第22条第1項

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

日本国憲法第25条第1項

すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

日本国憲法第26条第1項


読者へのお願い

 どうか皆さん、日本国憲法を読んでください。私が所持し、座右に置いている童話屋発行の日本国憲法は、文庫本の大きさで、厚さは0.3mmしかありません。どこにでも持ち運びができます。ここに、読みやすい字の大きさで、憲法全文全てが入っています。

 特に、前文と第二・三・十章をお読みください。第三章は、国民生活に関わる全てがあり、とりあえずここだけ熟読しておくだけで大丈夫です。
 なお、「教会での人権侵害」第3章第3節4で述べた、人権侵害を指摘・報告する文書の作成・送付は、第16条(請願の権利)の行使によるものです。これを行うのに、特別な資格は不要です。法律条文がわからなければ、AIに教えてもらい、自分で確認すれば、良いのです。
 憲法は、政治家だけのものではありません。むしろ、本来は権力を縛るという点で、国民のものなのです。これを読めば、誰にでも“社会を変える力”が芽生えます。

※以下のマガジンに以前の記事があります。


いいなと思ったら応援しよう!

jacob_truth369 ( ´∀`)サポート本当にありがとうございます!!😭😭😭🥰🥰🥰 (  ・ ∀ ・)ご恩返しするためにも、今後も一生懸命頑張ります!!😊😊😊