ローファーの靴擦れは罰
娘が吹奏楽部でステージに立つ機会があり、
ローファーを買うことになりました。
ネットでどのローファーがいいかをリサーチしていると、自分が中学生の頃の記憶がふわーーーっと蘇ってきたんです。
今の私は「黒」とか無難な色を選びがち。
だけど、中学生の私はみんなが履いている「黒いローファー」が嫌だったんですよね。「その他大勢」に埋もれてしまうみたいで。
全然そんなことないんだけど。
私の勝手な思い込み。
で、そんな私が選んだのはブラウンのローファー。
今思えば、黒もブラウンもそんなに変わらない。
だけど、少しだけ明るくした髪に、少しだけ明るいブラウンのローファーを履く瞬間が嬉しかった。
そんな思い出があったので、娘に聞いてみると「黒がいい」とのこと。
そもそも、娘はまだそんなにローファーを履きたいと思っていないようで、入学の時に「いらない」と言われていました。
年に数回しか履かないし、安いので良いかーと思ってみてみたら、「ローファーは靴擦れがひどい」みたいな情報を見つけたんです。
いや、そうだ。
黒だろうがブラウンだろうがどっちでもいいけど、新品でまだ硬いローファーの靴擦れは本当にやっかい。
ズル剥けのかかとに貼った絆創膏の裏で、靴擦れの傷がジクジクと痛む感覚を思い出しました。
ブラウンのローファーを履いて学校へ行ったあの日。
ほんのり髪を染めていて、ほんのりメイクをして、ブラウンのローファーを履いて。「ちょっと可愛い中学生の私」になれるはずだった。
でも歩くたびにかかとが痛い。
次の日も次の日も痛くて、だんだんかかとには水ぶくれができていった。
「みんな普通に履いてるのに、なんで私だけこんなに痛いんだろう」
周りの子たちは平気そうに歩いていて、私だけが絆創膏を貼っている気がした。せっかく少しだけ大人になれた気がしていたのに。私だけが無理をしているみたいだった。
「お前にローファーはまだ早いんだよ!」
と言われているような感覚になる、靴擦れの痛み。
スニーカーを履いてローファーを見たら大人になれた気がした。
本当は少し背伸びしたかった。
可愛くなりたかった。
みんなと同じ黒じゃなくて、少しだけ違うブラウンを選びたかった。
だけど、ローファーは靴擦れを起こすし、校則はあるし、黒に書い直すにはお金の問題もあるし、親の目もある。
「それくらい我慢しなさい」
「ブラウンが良いっていうから買ったのにわがまま」
「靴擦れくらいみんな我慢してる」
と、実際に誰かに言われたわけじゃないけど。
でも私は、靴擦れの痛みを「新品だから仕方ない」ではなく、「自分をわきまえずに背伸びした自分への罰」みたいに受け取っていたのかも。
「そんなの私にはまだ早い」
「調子に乗るな」
「似合わない」
と言われているような感覚。
私はあの頃、自分で自分に「ローファーを履く資格がまだない」と言ってしまっていたのかも…と、娘のローファーを選びながら考えていました。
靴擦れがバレないように、平気なふりをしたり。友達と靴擦れの話になると、「私だけじゃなかったんだ!」と少しホッとしつつも、あまり自分のことを話したくなくて「ねーほんとやだよねー!」と笑って軽く終わる。
「靴擦れしていることを気付かれたくない」という簡単な話ではなくて。
「ローファーを履く資格がない」
そんなことを自分で思っているなんて、気付かれたくなかった。
娘のローファーを探していただけなのに、
「ローファーを履く資格があるか審査する委員会」
の存在まで思い出してしまった。
他の人にもこういう「今思うと謎な思い込み」ってあるんだろうか。
ローファーの靴擦れは、しばらくすると慣れるけど、「本当はこうしたかった」を我慢する癖は、慣れてしまうと透明化して見えなくなる。
だから、「私にはまだ早い」と言ってくる脳内委員会は、その後の人生でもいろんな場面で現れ続けていたと思います。だけど、長い間その存在に気が付けなかった。
ただ、それからもう二十年以上経った今。
「えっ、ローファーを履く資格がないって言ってるの自分だよね?それ全部真実じゃないよー!!現実では誰も言ってないし、『可愛いね』って言ってくれてたよね!?てか私、そんな昔から脳内会議してたのww」
という話を、こうして誰でも読める形にして発信してるんだから驚きです。
少なくとも今の私は、ローファーで靴擦れしたことより、「ローファーを履く資格がない」と勝手に思い込んでいたことを面白がって考えていたい。
ただ、娘のローファーは「靴擦れしにくいローファー」を選ぶ。
靴擦れは、普通に痛いので。
