消滅可能性自治体の希望。なぜ嬬恋村の福祉は「動ける」のか?
おはようございます。
きゃべつ佐藤です。
「ケアマネゼロの地平線」シリーズ、草津町・長野原町と巡ってきましたが、今回からはいよいよ私たちの本拠地・嬬恋村(つまごいむら)編に突入します。
「佐藤さん、話が長いよ!」なんて声も聞こえてきそうですが(笑)、
現場のリアルを削らずに伝えていきたいので、ぜひ最後までお付き合いください。
よろしくお願いします!
標高1,000mの高原で見える福祉の「地平線」
まずは、私たちのフィールドである嬬恋村について整理しておきます。
人口は約9,000人。
高齢化率は40%超え。
そして、もれなく「消滅可能性自治体」のリストに名を連ねています。
「人口9,000人もいて村なの?」と驚かれることもありますが、
とにかく面積が広い!南に浅間山、北に白根山、東に四阿山。
雄大な山々に囲まれた高原の盆地です。

夏は涼しくキャベツが美味しいけれど、冬はマイナス15度まで下がることもある、なかなかにタフな環境。私の故郷でもあります。
ここで私たちは、日夜「福祉」と向き合っています。
「当たり前」だと思っていたことが、実は「奇跡」だった
正直に言います。
草津町や長野原町など、他の地域の現状を深く知るまで、
私は今の環境が「当たり前」だと思っていました。
でも、外の世界を見て、今の嬬恋村がいかに恵まれているかが骨身に沁みました。
一言で言えば、地域包括支援センターの機能が、めちゃくちゃ充実しています
今の嬬恋村包括は、所長・社会福祉士・主任ケアマネ・保健師の3.5〜4名体制。 数字だけ見れば普通かもしれませんが、中身がすごい。
全員が経験10年を超える、現場を知り尽くしたベテラン勢です。
ケアマネを「孤立」させない。この安心感が現場を救う
何が違うのか。
それは「初期相談の機能」が当たり前に、かつ高速で動いていることです。
ケアマネにケースを渡した後のフォローアップが手厚い。
身寄りのない方、生活困窮、生活保護……現場のケアマネが「これは自分一人では抱えきれない」と感じる困難事例でも、相談すれば即座に「地域ケア会議」を開いてくれる。
精神障害への対応、いわゆる「にも包括」の機能も、特別なことではなく日常として機能している。
現場のケアマネにとって、これほど心強いことはありません。
「本当に、ありがたい」
この言葉に尽きます。
役割分担から生まれた「なんでも屋」としてのプライド
私が開業した当時のことも振り返っておきましょう。
当時、村内の居宅ケアマネは私を含めてわずか5人。
人口9,000人に対して5人ですから、常にギリギリの状態で回していました。
面白いのは、地域の中で自然と「役割分担」ができていたことです。
「グループホームの近くはあちらの事業所」
「特養関連はこちら」といった具合に。
その中で、私たち「介護屋かんばら」の立ち位置は、いつの間にか「どこにも当てはまらない、一番しんどいケースを引き受ける場所」になっていました(笑)。
でも、それが良かった。
難しいケース、複雑な背景を持つ方々と向き合うことで、私たちのスキルは磨かれ、包括支援センターとのパイプもより強固になりました。
ハードな現場を共にするからこそ生まれる、戦友のような信頼関係。
これが今の私たちの土台になっています。
「スピード感」が命を繋ぐ。虐待・生保案件への圧倒的な対応力
特に際立っているのが、虐待や生活保護案件への動きの速さです。
私たちはできる限り早い段階で情報をシェアするようにしていますが、
それに対する包括側のレスポンスがとにかく速い。
役割分担が瞬時に決まり、外部連携や訪問調整が怒涛の勢いで動き出す。
このスピード感があるからこそ、救える命や守れる生活がある。
この「対応力の高さ」は、間違いなく村の財産です。
「ボーダーレス」な支援を支えてくれる関係性
精神障害をお持ちの方への対応も、包括がしっかりと担ってくれています。 「ここからは障害のケアマネジメント(相談支援)が必要だ」という判断があれば、すぐに私たちにバトンが渡される。
お互いの専門性をリスペクトし、足りない部分を補い合う。
この理想的な関係性があったからこそ、私たちは相談支援事業所を畳むことなく、今日まで続けてこれました。
改めて感謝😢
さて、次回は「嬬恋村の行政(役場)」のお話をしようと思います。
包括がこれだけ動ける背景には、実は行政との絶妙な距離感があるんです。
次回もどうぞご期待ください!
