大胆にもクフ王のピラミッドに登った夢 #38
不思議な夢を見た。
就職活動を終えたばかりの大学3年の夏、90年代後半のことだが、大学の同級生であるSとともに、エジプト、トルコを旅した。
エジプトでの最後の夜、私はそれまでの人生で最大と言っても過言ではない、ある壮大な計画をしたためていた。大学の同級生にはKという男もいて、今は大手町にある大新聞社で政治記者として活躍しているが、彼はまだインターネットもない当時から、どこからともなく色々な情報を掴んでくる習性があった。
彼の掴んだネタによると、カイロ市内のとあるユースホステルのロビーに、宿泊者が自由に旅の思い出を記入できるノートがあり、そこに「ピラミッド登頂マニュアル」なるものが日本語で書かれているというのだ。
実際にわざわざそのユースホステルに宿泊してロビー付近を捜していると、確かにそのノートは存在した。様々な言語で書かれたメッセージやイラストの中に、思いのほかしっかりした字で、しかも図解まで入っており、数ページに渡る力作だった。
私は目を輝かせてその壮大な計画をSに打ち明けたわけだが、人生初の海外旅行でありながら、すでにそれまでの旅程で散々私に振り回されていたSは意外にもかなり及び腰だった。簡単にあきらめるわけにはいかない私も必死に説得を試みたが、彼もすんなり「うん」とは言わない。
最終的に彼が強い意志で提示した条件は、「ふたりだけでは絶対にイヤだ」ということだった。仕方がないので、私は、4階建てくらいだったそのユースホステルの部屋を上から片っ端に訪問して聞き込みをした。命がけのプロジェクトであるから、意思の疎通を優先して日本人のみに声をかけた。
その宿のそのマニュアルは、バックパッカー界隈ではわりと有名だったようで、意外にも「昨日行ったから今日はやめておくよ」というような返事が多かった。断られ続けて少し焦ったが、残りの部屋もわずかになったところで、ついにふたりの日本人賛同者が見つかった。広島から来ていた、少し年上の2人組だった。
喧騒溢れるカイロの街もさすがにすっかり寝静まった夜中の2時頃。Sは相変わらず気乗りしない様子だが、他の3人はすでに興奮を隠すこともできないハイテンションのまま、宿の玄関を出ると、なるほどマニュアルに書かれていた通り、何台かのタクシーがご丁寧にも我々を待ち構えていてくれる。
素早くタクシーに乗り込むと、心得たドライバーは行き先も聞かずに車を出した。我々が登頂を目指すのは、3つ連なるピラミッドの中でも最も大きい、「クフ王のピラミッド」である。20分ほど暗闇の中を疾走したタクシーは、やがて、ピラミッドに隣接したゴルフ場の横に停車し、ヒゲ面のドライバーは‟Good luck‟と言い残して暗闇に消えていった。
そのゴルフ場は高さ2メートルくらいの壁に囲まれているが、崩れて難なく侵入できる箇所がある。夜露で湿った芝生を、滑って転ばぬよう駆け抜けた。ゴルフ場の3ホール分くらいを横切ると、今度は5メートルくらいの高さのフェンスにぶち当たるが、ここも何か所かが破れており、服を引っかけないように注意して潜り抜ける。
その先には何頭かの番犬がいるが、フェンスの侵入個所を間違わなければ、別のフェンスで隔てられた番犬たちが襲ってくることはない。重ねて言うが、もちろんすべて、マニュアルに書かれている通りである。次にけっこう急な砂の斜面を登ると、目の前にクフ王のピラミッドが聳え立つことになる。
定期的にサーチライトの光が目の前を照らしては過ぎ去っていき、緊張感が高まる。この頃になると、ちょうど当時、公開したばかりだった映画『ミッション・インポッシブル』の音楽がずっと頭の中で鳴り響いていた。
気分は完全にトム・クルーズのまま、映画音楽のリズムに合わせ、サーチライトの直後を追いかけるように暗闇に紛れながらピラミッドの土台部分まで走り切り、石を背にして呼吸を整える。
さて、マニュアルによると、登るべき登頂ルートは、実は1つしかないのだ。面と面が接する縁の部分が登りやすいとのことだが、4つのうちの3つの縁は途中が崩壊していて登ることができないらしい。3つ並ぶピラミッドの中で、最もカイロの街に近くて北側に位置するのがクフ王のピラミッドだ。我々が侵入したゴルフ場と砂の急斜面も、クフ王のピラミッドの北側に接している。唯一の登頂ルートは、真ん中のカフラー王のピラミッドに最も近い、南西側の縁ということになる。
昼間に一度、正当な観光もしているわけだから、地理的な位置関係はすべて頭に入っており、暗闇に乗じて呼吸を整えながら気持ちも落ち着かせ、ゆっくりと南西の縁へと小走りで移動する。
ピラミッドの石の大きさは腰くらいの高さであり、それが200段ほど積み重なっている。一段一段を登るのはそれほど大変ではない。夜中に登頂を試みる不届き者は、アメリカ人とドイツ人、日本人に多いとのことだが、年に何人か強風に煽られて転落し命を落とす若者もいるらしく、登っている最中にそのことを思い出すと恐怖で足が震えそうになるが、幸い暗くて下の方は見えないので、目の前の石に集中し、落ち着いて同じ動作をリズムよく繰り返すことを心がけた。
20分ほどで最上部にたどり着く。そこは大昔に崩壊して5メートル四方くらいの平らなスペースになっており、ひとまずは安全に身を横たえられる場所であることに心の底からほっとする。
東の空に日が昇る瞬間には、一面の砂漠がピンク色に染まったように見え、ジーンとした感動がジワジワと自分の体の内側を振動させるようだった。
しかしながら、周囲がすっかり明るくなると、まるで一気に魔法が溶けてしまったように、急速に「すん」と現実に引き戻される感覚があった。あんなに鳴り響いていたミッション・インポッシブルの音楽も、パタッと消えてなくなってしまった。何より、あの恐怖を再び感じなければならないことが、ただただ面倒くさかった。しかも今度は、下まですっかり見通せる明るさの中で下らなければならない。
すでに下の方は何やら騒がしい。何人かの警官が笛を吹きならして「下りてこい」と叫んでいるのだ。
焦って足を滑らせるようなことがないよう、とにかく慎重に下りた。5人くらいの警官が待ち構えていた。みんな太っているから、華麗なステップで逃げ切ることはできそうだったが、懐に手を入れて拳銃を取り出すようなフリをするから、万が一にも撃たれたりしたらそれこそシャレにならないので、素直に捕らえられた。
エジプトには「バクシーシ」という便利な言葉がある。エジプトの道中、そこかしこで聞く言葉だった。ワイロとチップの中間のような意味合いだろうか。彼らもさっそく「バクシーシ、バクシーシ」と口々に言う。20米ドルくらいの金額を言われるが、これもマニュアルには「相場は1ドル」ときっちり明記されており、不毛な料金交渉を経て最後に1ドル札を差し出すと、彼らは懐から拳銃ではなくトランシーバーを取り出して、ツタンカーメン側の門を開けるよう指示してくれた。
なんだか映画のような大冒険をやり遂げた高揚感と、今は安全な地面を踏んでいられることのとてつもない安堵感に満たされながら、その背中をツタンカーメンに見送られる形で意気揚々と門を通過し、目の前にあるケンタッキーフライドチキンのモーニングコーヒーで祝杯をあげたのだった。
翌朝、夢から覚めると、胸のあたりが筋肉痛だった。
