エッセイ|芥川賞は遠いけど、トイレは近い。
noteを始める前から、芥川賞という文学最高峰と言われる輝かしいアワードに憧れていた。
群馬県に生まれ、土と戯れ、土手沿いをチャリで爆走していたわたしには、ほど遠いものだと、幼いながらも絶望とひとつまみの希望は抱いていた。
そして今わたしトイレにいる。
公衆トイレだ。
誰かが✖︎✖︎✖︎なことをしたかもしれないこの、公衆トイレで私はハッ!!!と目を見開き気づいたことがある。
芥川賞は遠いけど、トイレは近い。
誰よりも彼らと闘い、時には共にお互いを称え、お互いの未来に酒を飲んだ。
朝の決まった時間にこしらえ、何食わぬ顔で満員電車に乗り、どさくさに紛れて放屁をし、え?わたしじゃありませんけど?失礼ですね。と、人に責任をなすりつける。
もう我慢できません。
と、脳内アラートが鳴り、駆け込んだ公園の公衆トイレ。
何を言おう、ここには両手では収まりきらないほど、お世話になっている。
朝井リョウ氏がエッセイの中で声を大にして言っていた、トイレの場所の把握の重要性は、このわたしにも届いている。よその家の彼らにまで共感する我が腸は、カウンセラーに向いていると、自負をする。
朝井リョウ氏のエッセイからわたしは、彼らといかにうまく向き合うかということを学んだ。
侮るなかれ!!
彼らは世界を掌握できる力を持っている。
過去の記事でも述べたように、かの大国の大統領ですら、彼らには負け、己を解放しているのだ。
連中との戦は常に負け戦だ。
人間は勝てない。勝つことを望んではいけない。望んだ先に待つものは、初回を超えるほどの一撃か、長く辛いストライキだ。
我慢してはいけない。
そして、勝とうとしてはいけない。
こんなにも連中について、深く考えているわたしは、彼らに対して少しばかりの愛情を抱いている。
いつも決まった時間に顔を見せてくれて、体調が悪いときは、僕。体調悪いの。と言わんばかりのヘロヘロ具合をちゃんと見せてくれて、何か体に毒なものを食べてしまった時も、すぐさまアラートを鳴らして知らせてくれる。
彼らはわたしの健康を守ってくれているのだ。
人からは嫌われる存在の彼らでも、人として生きていく上では必然な存在。
犬の食糞をよく、うんこの転生輪廻というが、私たちの便がやがて土となり、魚の栄養になり、弱肉強食の連鎖を得て、また私たちに回帰している。
転生輪廻だ。
もしあなたが辛い時思い出してほしい。
彼らはいつもそばにいると。
そして、同時に忘れてはならない。彼らはいつでも私たちを虎視眈々と狙っていることを。
芥川賞は選ばれるが、彼らは私たち全員を選ぶのだ。
そしてわたしは、公衆トイレで転生輪廻を語る30歳女。という文学作品を爆誕させた。
腸文学である。
お尻が冷たくなって来たのでここで終わりにする。
#なんのはなしですか
(使ってみたかった…!!!!)
