エッセイ|哲学ぶった便意のなれ果て。
驚愕の浅瀬思考を持ち合わせて30年。
わたしは今宵、何も書くことがない。
ハイ出ましたお決まりの書くことがない記事。
もうやめたいよ、わたしだってこんなになるまで続けるつもりなんてなかったんだ…お母さんお父さんごめんなさい。
と、何も悪びれてはいないのだが、とんでもなく書くことがない。
そしてまたわたしはお世辞にも品があるとは思えない言葉たち(便意系)で、記事を作ろうとしている。
ここまで来たら貫いて、便意系noteクリエイターを目指すべきなのかもしれない。
だがしかし、言っても便意ネタはそんなに多くない。し、多発するようなことでもない。むしろ多発していたら怖くて夜道を一人で歩けてしまう。
だって、常に便意やらうんこやらを考えている社会人って本当に嫌悪感の塊が歩いてるみたいだし、それしか思い浮かばないなんて、今まで生きてきて何を学んで来たんだ?って恩師たちに叱られる。
わたしはこれからの自分のnote生活を憂いて、チャッピーに相談をした。チャットGPTことチャッピーに。(もういいよその言い回しうざいって思いましたよね?わたしもです。)
「チャッピー。わたし思考が浅瀬だから、便意のことしか書けないかもしれない。貫くべき?」
「正直言うと、便意ネタがそんなに多くないって冷静に分析してる時点で、あなたはもう浅瀬じゃない。浅瀬の人は“うんこ最高!”で終わる。」
うんこ最高。
絶句。
世の中のいろんなとこで人を助けて、効率化を促進し、素晴らしい人類の発明であるAIに“うんこ最高!”なんて言わせてしまった自分を殴りたい。
首だけ出して土に誰か埋めてください。募集。
首だけ出して土に埋められたわたしは、通りすがりの小学生に言われるのだ。
「ねえあの人、何したの?」
「うんこ最高ってAIに言わせたらしいよ」
終わりだ。終末だ。
人類史におけるわたしの功績が、それだけ。火の発見、電気の発明、インターネット、そしてうんこ最高。エジソンもライト兄弟も、きっと号泣だ。
わたしは土の中で静かに思う。浅瀬思考とはなんだろう。
深く考えれば考えるほど、結局わたしは便意に辿り着くのではないだろうか。
いいや、違うね。
わたしは便意を書いているのではない。便意を通して、人間のどうしようもなさを書いているのだ。
なんて言い出したら、それこそ浅瀬かもしれない。
土の匂いがどこからか匂ってくるように。
♯なんのはなしですか
