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エッセイ|運の拾い人


実家に帰省した。

三連休をもらえたので帰省したのはいいものの、実家は本当にやることがない。

強いて言えば、愛犬の散歩と洗濯と、両親と話すことぐらいだ。

暇だろうしnote量産したろ!と意気込み乗った新幹線も、実家につけば携帯なんて見なくなって、両親と話しながらつけっぱなしのテレビが聞こえるくらいで。

ふと、後何回会えるんだろうって、テンプレな感情を抱いて少しナイーブになったり、両親と今後のことを話して、世代が自分達へと移って来ている焦燥感を感じたり。

大人になった(なれてるかしら。)ときの帰省は大学生の時のそれとは全く違って、いつもなんとなく切なくなる。

田舎だから行く場所なんて、イオンと少し大きな商業施設だけで、一度行ってしまえば気が済んでしまうし、車の窓から見える景色は変わってるようで変わってなくて、どこか時代に取り残されているような感じで、この町もいつの間にか時代に取り残されていくのかな?って考えると、ここに住む両親のことを東京に連れて来たくなる。


小さい頃は自分の全てだった世界が、大人になって東京に出て来たら、ただの一つの町になってしまって、そんな自分の成長に少し苦しくなった。


母に久しぶりに髪を乾かしてもらいながら、泣きそうになるなんて、私にもまだ人間の部分が残っていたんだって少しだけ自分がいい人間であるかのように錯覚したり、父と仕事の話をしながら、意外といろいろなことを考えてる自分に出会えたり。


愛犬のうんこを拾いながら、人間は一生犬の下僕なんだと思ったり。

これと言ったネタを仕入れられなかった帰省だったけど、帰る場所があることへの感謝は大きくて、大人になって気づく両親の偉大さとか、小さくなっていく背中も、年齢とともに大きくなるイビキも、全部が愛おしく思えた。

立派な大人になれてるなんて思わないけど、両親からしたら東京で生活してることだけで立派で、すごいことで、自慢で。

理由もなく自分勝手に二人のことを疎かにしていた時の自分が憎い。

二人がずっと愛犬のうんこを拾いながら、贅沢な暮らしはできなくとも健康で元気でいてくれるだけで、わたしは幸せだなって思うと同時に、両親がいなくなった世界を考えなければいけない未来が少しでも遅く来てくれることを願いながら、私は愛犬のうんこを拾っている。


ずっと拾わせて欲しいし、ずっとイビキもかいてて欲しいし、入れ歯を急に見せて来たり、夕飯食べたらおこたつで3時間ちゃんと寝てほしいし、コーヒー飲んでも夜ちゃんと眠れるままでいてほしい。


宝くじ当たったら二人のために別荘を買おう。どこか遠くの海外に連れて行ってあげよう。システムキッチン入れてあげよう。

そんなことを話す私を、何言ってんのって笑って聞いてくれるのは、後何回あるんだろう。そして愛犬の糞をあと何回拾うんだろう。

自然と涙が出てしまうからもうnoteを書くのをやめようと思う。

まだまだ私は二人の子供だ。



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