もし戸田奈津子がフレンチ・ディスパッチの長すぎるタイトルを翻訳したら?
本作のタイトルは非常に長いです。
なぜこんなに長いのかというと、本作はフランスを舞台にしているので、タイトルもフランス語を揶揄したジョークになっているからです。
そこで本稿では、タイトルの意味を分かりやすく噛み砕いて、もし「どんな長文でも驚くほど短く意訳してしまう戸田奈津子先生」の手にかかったらどうなるか考えてみたいと思います。
▼やたら長いタイトルの意味:
正式タイトル:
フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊
The French Dispatch of the Liberty, Kansas Evening Sun
邦題で真ん中のオブ(of)が抜けて、代わりに「別冊」と付いています。
つまり『ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン(カンザスの宵と朝に届く自由)』という新聞の別冊雑誌『ザ・フレンチ・ディスパッチ(仏国出張部門)』ということですね。
カンザス出身の編集長が、アメリカ中西部の新聞社(本社;ザ・リバティ)を飛び出して、フランス支社から定期で刊行する文化雑誌(フレンチ・ディスパッチ)ということらしいです。そう考えると非常に長いタイトルが一気に分かりやすくなります。個人的には邦題の半角スペースよりは、原題のようにofが挟まっている方が理解しやすいと感じます。
ザ・フレンチ・ディスパッチ of ザ・リバティ、カンザス(以下略)。
なおこの新聞と別冊雑誌はどちらもフィクションだそうです。
“The French Dispatch”: a factual weekly report on the subjects of world politics, the arts (high and low), fashion, fancy cuisine/fine drink, and diverse stories of human-interest set in faraway quartiers. He brought the world to Kansas.
『ザ・フレンチ・ディスパッチ』。それはノンフィクションの週刊誌。世界の政治、芸術(ハイソサエティからサブカルチャーまで)、ファッション、素敵な料理や上質な飲料、そして遠くフランスのカルチエ地区で起こった人々の興味を惹く多種多様なストーリー。彼(編集長)は世界をカンザスに届けたのだ。
20年くらい前、めざましテレビで『Oh My ニューヨーク』という中継コーナーがあったのを思い出しました。多分そんなノリなんでしょうね。今でも似たようなコーナーがあるのでしょうか。私はテレビを観なくなって久しいので全く分かりませんが。笑。20年前と現在では日本と海外の距離感が全然違うのでコーナーとしての需要や役割は小さくなっているような気はします。ただニューヨーク支社を維持するのもコストがかかりますから、何かしらのアウトプットは出さないとダメなんで続けているんですかね。(最近はテレビを持ってないので分かりません)
▼なぜこれがフランスいじりになるのか:
フランス語はよく「いつまでもピリオドを打たずつらつらと書き綴る」のが特徴というか、よく国ジョークなんかでも「冗長であるフランス語」がネタにされます。
参考までにドイツ語は「ダッシ」とか「イッヒ」みたいな舌を丸めて出す破裂音をやたら強調して重厚な感じにしたり、イギリス英語はわざと吃ったり小難しい単語を使ったり、逆にアメリカ英語は必要以上にハキハキ短く喋ったりします。欧米の人達はこんな感じでお互いの国の言葉を揶揄し合うのが定番だったりするのです。本作のタイトルも映画としては明らかに長すぎで、そうしたユーモアに乗っかったものになっています。
フレンチ料理店に行くと、どこか気取ったようにも見える長い料理名が多かったりしますよね。あの感覚です。
・自家製サーモンのマリネ 海の恵みの宝石仕立て新鮮な千葉産ガーデングリーンとキャビアを添えて
・フランス産トリュフと白舞茸の蒸しコンソメスープロワイヤル仕立て
・鱸のポアレ 高知県産完熟トマト蜂蜜風味のシャンパンクリームソース海草と群馬県産濃緑ほうれん草のソテーを添えて
なお余談ですが、日本でも韓国・北朝鮮・中国の言葉を真似して笑いを取ることはありますよね。もともと言語体系が大きく異なるのであまり使われないのと、最近は政治情勢が緊迫していたり、近隣国のカルチャーをジョークにすると強く反発する団体が活発なこともあってか、大手メディアでは見かける頻度が減ったような気もしますが。数年前までは、タモリのインチキ外国語とか、中川家や次長課長がよくネタにしていました。
▼もし戸田奈津子が翻訳したら:
さて、本題に入りましょう。
もし戸田奈津子先生がこのクソ長いタイトルを翻訳したらどうなるか?
私の予想は、ずばり…
『フランスだより カンザス新聞別冊』
です。いかがでしょうか。
かなり強引な意訳ですが、分かりやすさは格段にアップしていると思います。
その代わりに失ったのは、原題にあった「フランス語の冗長さ」をいじったユーモアです。これは戸田氏のこれまでの翻訳でも顕著に指摘できる部分ですね。氏の翻訳は台詞のニュアンスや、言葉から汲み取れる背景をガッツリ削除しがちで、そこが少なくない映画ファンから嫌われる理由でもあります。分かりやすさと短さを獲得するために払った代償と言えるでしょう。
なっち語とも言われる戸田奈津子特有な言い回しは、文章として読むよりも、言葉を聞き取って機械的に書き出したと解釈するとかなり自然になると思います。(Siriに喋りかけた時に表示される文章や、YouTubeでCCボタンを押すと表示される自動生成字幕みたいなものです)
たとえば私達は日常で会話をするときに、相手の言葉を一言一句噛み締めて理解していることは稀だと思います。話しながら途中まで聴いたら、むしろ語尾は聞かないで返答を考え始めたり、会話の流れから汲み取って補完したりと、別のことに思考を使っている時間の方が多いでしょう。なっち語の最後まで言い切らない独特な節回しはこのあたりを意識してのことだろうと私は解釈しています。すなわち、語り手が「言おうとしている言葉」ではなくて、聞き手に「聴こえている発音」だけを字幕に起こしているのだと思われます。
ただし、そうしたアプローチが功を奏すのはせいぜい日常会話くらいまでで、軍隊の規律に則った堅苦しい言葉遣いとか、指輪物語のように世界観や宗教観が重要な作品では、言葉を削ったり丸めたりすることによる損失の方が大きくなると思いますので、これは適材適所を是々非々で判断する必要があるでしょう。
特に最近は(戸田奈津子氏が活躍された90年代と異なり)世界中の情報に容易にアクセスできるようになったので、観客の知識量は増え、観客の耳は英語に強くなり、一方で作品側の演出もどんどん洗練されて世界観(背景)や作り込みが深くなっています。30年前は異常に見えたエヴァンゲリオンの情報量が、最近の作品ではすっかり当たり前になっています。むしろ一部の作品では、処理しきれない情報を出されて混乱することが観客が求めるものにさえなりつつあります。戸田奈津子氏が得意としてきた瞬発力と閃きで勝負するような、良くも悪くも「ざっくりとした分かりやすい」翻訳では満足できないニーズが増えていると言えるでしょう。
了。
いいなと思ったら応援しよう!
最後まで読んでいただきありがとうございます。ぜひ「読んだよ」の一言がわりにでもスキを押していってくださると嬉しいです!