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日本人の物語01099【南北朝中期】畠山国清上洛

幕府を裏切る者が多すぎて読者の皆さんも食傷気味だと思いますが、また新たな裏切りキャラの登場です。

 さて、観応の擾乱という兄弟争いは北朝を真っ二つに分断し、その影響は未だに続いていました。世の中は尊氏党、直義党、南朝の3勢力に分かれて内紛を繰り返しました。
 となると、世間の人たちが気にかけるのは、京にいる足利義詮と鎌倉にいる足利基氏の兄弟仲です。この10歳違いの兄弟の仲が悪いと、更なる内紛が生じそうです。
 こうした内紛を防ぐべく、基氏を支える関東執事の畠山国清は、こう提案しました。
「天下の人々は御兄弟の仲に何らかのご不快なことが起こるだろうと危惧しているようです。そこで、私を大将として京に派遣いただきたい。京の将軍殿の軍勢と協力し、南方にいる和田・楠木を攻め落として天下を一気に平定し、世の人々の疑いを晴らしたいと存じます」
 これに基氏は、
「それは良い考えだ。関東8ヶ国の軍勢を集めて京に向かうがよい」
と言って、国清を送り出しました。しかし国清は実際には権力欲が強く、東国の軍勢をこき使って自らの出世栄達のために利用してやろうとしか思っていなかった、と太平記は述べています。
 このように太平記は畠山国清をずいぶんこき下ろしていますが、史実はどうも異なるらしく、義詮の方から
「南朝に決定的打撃を与えるため、協力してほしい」
との依頼があり、それに基づいて国清は上洛したようです。ただ、基氏は兵を出すことに反対したのだとか。やはり兄弟仲が心配になりますね。
 正平14/延文4(1359)年10月8日。畠山国清は東国の諸将21万人を率いて出陣しました。京に到着したのは11月6日です。あまりに多くの兵が来たというので、公卿らがわざわざ行列を見物しに来たといいます。
 このとき、ひときわ目を引く豪華な馬・調度品を揃えた一隊がありました。河越直重の軍勢です。久しぶりの上洛で張り切っていたのでしょうが、ここで豪華さをアピールした代償は大きいものでした。11月9日に河越軍が宿泊していた旅館に群盗が押し入り、馬や太刀を奪われてしまったのです。
 なお、東国から大軍勢が来るとの情報に、南朝方の公家たちはすっかり怖気づいていました。というのも、11月5日時点で既に
「大軍による南朝討伐が行われるらしい」
との噂が聞こえていたらしく、南朝方の廷臣たちが次々と北朝に降伏してきたのです。有名どころでは中院通冬などもここで帰洛しています。
 いよいよ南北朝の間で過去最大の兵力を用いた一大決戦が始まろうとしています。

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