日本人の物語00160【古墳】丁未の乱 物部氏滅亡
用明天皇2(587)年。用明天皇の死を契機として勃発した、皇位継承が絡んだ蘇我氏と物部氏の争いを「丁未の乱(ていびのらん)」といいます。
用明天皇が崩御したのを機に、蘇我馬子は
「穴穂部皇子ら一党を成敗したい」
と炊屋姫に相談しました。炊屋姫といえば未遂とはいえ穴穂部皇子に犯されかかった人ですから、当然アンチ穴穂部派です。
炊屋姫の承諾を得た馬子は、6月7日、穴穂部皇子の宮殿を包囲しました。
穴穂部皇子は屋根によじ上って逃げようとしますが、追っ手に肩を斬られて転落します。
さらに近くの家屋に隠れるのですが、探し出されて斬られました。皇位を狙って暗躍し続けた皇子の無残な最期でした。
そういえばNHKドラマ『聖徳太子』では、穴穂部皇子を演じる柄本明の怪演が非常に印象的でした。本木雅弘演じる聖徳太子と、緒形拳演じる蘇我馬子を完全に食ってしまっていました。
さて、ここまでが丁未の乱の前哨戦です。続いて馬子の標的は物部氏に移ります。
穴穂部皇子を倒した炊屋姫は、さらに物部守屋への討伐命令を出します。欽明天皇の時代以来、ずっと対立していた蘇我氏と物部氏が遂に武力衝突することになります。
蘇我軍には、亡き用明天皇の弟である泊瀬部皇子が参戦しました。穴穂部皇子が死んだ今、次期天皇への最有力候補たる人物です。このような人物が味方についたことは大いに弾みになりますね。
さらに亡き用明天皇の子である厩戸皇子も蘇我方につきました。当時13歳です。聖徳太子というと「和をもって尊しとなす」という言葉が有名ですし、平和主義者のイメージが強いのですが、実は13歳で戦闘に参加していたのですね。
物部守屋もまた、一族を集めて迎撃の準備をするのですが、味方になってくれる皇族はいませんでした。敵の多い穴穂部皇子とばかりつるんでいたせいで、穴穂部皇子亡き今となっては味方がいなくなってしまったのでしょう。
7月。河内国の餌香川(えかがわ:現在の大阪府藤井寺市)で戦闘が始まりました。
弓矢の名人だった物部守屋は、木に登って上から矢を雨のように次々と放ちます。これに蘇我軍はひどく苦戦し、三度に渡って退却を余儀なくされました。
戦闘の合間に、厩戸皇子は木で四天王の像を作り、願をかけました。
「勝利すれば四天王のための寺を建てます」
と誓い、再び戦線に戻りました。
再度突撃したとき、迹見赤檮が木の上にいた物部守屋を見事射殺し、物部軍は総崩れとなりました。こうして蘇我軍は勝利を収め、物部氏は滅びたのです。
