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日本人の物語00452【平安末期】真海の長話

 園城寺に立て籠もった以仁王たちは、延暦寺と興福寺に助力を求める手紙を出しました。興福寺からはすぐに味方する旨の返事が来ましたが、延暦寺からはなかなか返事が来ません。
 平家方では園城寺をどう攻略するべきか、宗盛の屋敷に集まって相談していましたが、ここで侍大将・伊藤忠清(いとうただきよ:?~1185)が
「延暦寺と興福寺が敵方になびいてしまうと大変なことになります。まずは延暦寺をこちら側に味方させなければなりません」
と提案しました。そこで延暦寺に近江米1万石、美濃の絹3千疋を与え、手なづけることになりました。当時は絹5丈2尺を「1疋(いっぴき)」と呼んでいたそうです。
 延暦寺の僧兵たちは大いに喜び、誰も園城寺を助けに行こうなどと言わなくなりました。平家方の作戦勝ちですね。
 延暦寺が味方しないと知って園城寺の以仁王らは意気消沈しますが、ここで頼政が
「我々は少人数であるから、夜討ちによって有利に戦を進めるべきだ」
と提案しました。園城寺の僧兵らは賛成し、さっそく準備に取り掛かりました。
 ところが園城寺の中には、密かに平家方の味方をしようと画策している者がいました。真海(しんかい)という清盛と懇意にしている僧の一味です。
 真海は夜討ちの計画を妨害しようと、僧兵たちを集めて話を始めました。早い話が、「夜討ちではなくもっと時間をかけて作戦を練るべきだ」という趣旨なのですが、中国の古典などを引用しながらあまりに長い話をするのです。どうも真海の真意は、夜が明けるまで話し続けることによって、夜討ちを困難にしようという点にあったようです。
 僧兵たちはあまりの長話に飽き飽きして、
「そろそろ夜明けではないか。急げ」
と口々に言って話を聞くのを中断し、夜討ちのため出発しましたが、途中で鶏の鳴き声が聞こえ始めました。
 奇襲軍を率いていた仲綱は、
「もう夜が明ける。これでは夜討ちにならない」
といって、山科(京都市山科区)でやむなく引き返しました。
 園城寺に戻ってきた僧兵らは
「真海のせいだ。奴を斬れ」
といって真海のもとに押し寄せますが、真海は命からがら園城寺を抜け出し、六波羅の平家のもとへと逃亡していったとのことです。

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