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日本人の物語01585【室町/西国/応仁の乱】蓮如 肉付きの面*

今回紹介するのは割と物騒な伝説です。

 吉崎御坊に居を構えた蓮如は、文明6(1474)年3月28日に大火事に見舞われます。このとき、大家吉久が蓮如を背負って脱出したといわれ、現在の「吉崎寺」の前には蓮如を背負う大家吉久の像があります。
 さて、その吉崎寺を始めとするいくつかの寺院には、「肉付きの面」と呼ばれる鬼の面が残されており、拝観料を支払うと見学することができます。この「肉付きの面」をめぐっては少しずつ異なる複数のストーリーが語り継がれているのですが、そのうち代表的な吉崎寺や願慶寺に伝わる話を紹介しましょう。
 吉崎から少し離れた金津(福井県あわら市)という場所に、与三次(よさんじ)という農民が住んでいました。与三次は夫婦そろって熱心な一向宗徒で、農作業を終えた後毎日のように吉崎御坊に通って蓮如の法話を聴いたり念仏を唱えたりしていました。
 与三次の母は、それが気に入らずにいました。他の宗派を信仰していたのでしょう。どうにかしてこの夫婦の吉崎通いを辞めさせたいと考えた母親は、ある晩に鬼の面をかぶって途上に待ち構えました。
 ちょうど嫁がやって来たので、母親は路上に踊り出て
「我こそは白山権現の使いである。お前たち夫婦は一向宗に騙され、母親の忠告も聞かず吉崎に通い詰め、農作業を疎かにしている。母の言うことを聞かねば白山権現の罰を受けるであろう」
と話しかけるつもりだったのですが、嫁は鬼の面を見ただけで逃げていってしまいました。
 母親は仕方なく鬼の面を外そうとしますが、なぜか顔にぴったりと張り付いて取れなくなりました。本物の鬼になってしまったのかと、母親は泣きだしてしまいます。そこに遅れてやってきた与三次が通りかかりました。
 経緯を聞いた与三次は母を背負って吉崎御坊へと向かいます。そこで蓮如の教えを聞いた母親が自らの行いを悔いて念仏を唱えたところ、不思議なことに鬼の面は顔から外れました。それ以降、その母親も息子夫婦とともに吉崎に通うようになったといいます。ただし、無理に外そうとした際に顔の肉が少し取れてしまい、鬼の面にこびりついたままになりました。
 実際、展示されている鬼の面はひどく黒ずんでいて、肉が付いたものと言われるとなるほどと思ってしまいます。なかなかに気味悪い話ですが、室町時代当時からまことしやかに語り継がれていたのでしょう。

蓮如を背負う大家吉久の像。吉崎寺の前にある。2024年12月29日撮影。
吉崎寺の「嫁威肉附面(よめおどしにくつきめん)を拝観できる場所。これだけ見て満足して帰宅した後、願慶寺という寺にも同じような肉付き面があることを知った。2024年12月29日撮影。

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