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日本人の物語00140【人代後期】吉備一族の全滅

 雄略天皇7(463)年8月。この恐ろしい雄略天皇に対し、反乱を企てた者がいました。吉備前津屋(きびのさきつや)という男です。その名のとおり、吉備国(岡山県)を領地とする豪族でした。
 吉備前津屋には、吉備虚空(きびのおおぞら)という舎人がいました。虚空が前津屋の家に行くと、前津屋が、2羽の鶏を戦わせているところでした。
 しかし、ただの闘鶏ではありません。前津屋は、小さい鶏を「天皇の鶏」と呼んで毛を抜き翼をむしり、一方で大きい鶏を「自分の鶏」と呼んで、両者を戦わせていたのです。
 こんな圧倒的な力の差を付けた上で、2羽の鶏を自分と天皇に仮託して戦わせているとは、何と器の小さな男なんでしょう。
 しかし、虚空が見ていると、なんと小さい鶏が勝ってしまいました。それを見た前津屋は逆上して、勝った鶏を斬り殺してしまったのです。
 一部始終を見ていた虚空は、これを雄略天皇に報告しました。
 雄略天皇は直ちに兵を差し向け、吉備前津屋を含め、一族70人を殺害しました。そして吉備一族の娘、吉備稚媛(きびのわかひめ)を無理やり側室としてしまったのです。
 吉備稚媛は、雄略天皇への恨みを抱き続けながら、それを噛み殺して雄略天皇に仕え続けました。これが後の戦乱の原因となるのです。
 さて、ここで日本書紀は、だいぶ前に出てきた伏線を回収しています。
 安康天皇が大草香皇子を滅ぼした事件を覚えておいででしょうか。あの事件の原因は、安康天皇の家臣である根使主が、押木の玉鬘を横領して虚偽の報告をしたことにありました。
 雄略天皇14(470)年4月1日。雄略天皇が家臣たちを集めたとき、根使主がつけている押木の玉鬘を見て、皇后・幡梭皇女が泣き始めました。「あれは兄・大草香皇子がくれたものです」というのです。
 これによって根使主の横領が発覚します。根使主は逃亡し、日根(大阪府泉佐野市)に立てこもって天皇方を相手に戦いますが、敗死しました。
 その他、日本書紀には「雄略天皇8(464)年2月、新羅が国内の高句麗人を殺害し、怒った高句麗王が新羅討伐軍を送り込んだ。新羅は日本に救援を要請し、日本軍が高句麗を破った」などと書かれています。しかし、具体的な戦乱の経過などは記されず、ただ淡々と外交関係を時系列順に描いていっているだけなので、歴史学者たちはあまりこの記述を信用していません。
 さらに、「雄略天皇20(476)年。百済が高句麗に滅ぼされたため、翌21年に雄略天皇がそれを再興した」とも書かれているのですが、どこまでが史実なのでしょうか。
 いずれにせよ、雄略天皇の時代に倭国は中国地方などの他国を制圧して一回り大きくなったことは間違いないようです。

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