日本人の物語00166【飛鳥】冠位十二階
推古天皇が即位したところで、次に皇太子を決めなければなりません。敏達天皇と推古天皇の間に産まれた竹田皇子は既に病死していますから、最有力候補は用明天皇の子である厩戸皇子です。
推古天皇元(593)年4月10日。厩戸皇子が皇太子かつ摂政に就任します。こうして、推古天皇を摂政・厩戸皇子と大臣・蘇我馬子が支えるトロイカ体制が出来上がりました。「トロイカ体制」とは三人で政権を担当する体制のことです。
トロイカ体制というのは、トップを支える残り2人が必ず対立するという法則があります。例えば、細川政権では武村正義官房長官と小沢一郎新生党筆頭幹事が対立してうまく行きませんでしたし、鳩山政権では菅直人副総理と小沢一郎民主党幹事長が対立してうまく行きませんでした。(小沢が敵を作りやすいだけなのでしょうか。)
推古天皇のトロイカ体制についても、厩戸皇子と蘇我馬子は対立していた可能性が高いと考えられます。
日本書紀では直接それを明らかにする記述はありませんが、崇峻天皇が
「私利私欲しか考えない馬子がのさばっていることが耐えられない」
と洩らしたとき、厩戸皇子は
「仏法においては忍耐こそが徳だと言われています。隠忍自重あそばすように」
と言ったとのことですから、馬子に対して少なくとも良い印象は持っていないように見えますね。
推古天皇の時代の政治の最大の特徴は、一言でいえば仏教に基づく政治です。
推古天皇2(594)年2月1日。「三宝興隆の詔」が出されました。三宝とは仏・法・僧のことで、要するに仏教を広めていこうという命令です。
推古天皇11(603)年12月5日には厩戸皇子の主導により「冠位十二階」が制定されました。冠位十二階とは、官吏を
「大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智」
の12段階に分け、家柄に関係なく能力で出世できるようにする制度です。徳は紫、仁は青、礼は赤、信は黄、義は白、智は黒と、それぞれ色を付けた冠を授けられました。
この制度は仏教というよりも、古代中国の陰陽五行説に則ったものですね。
この制度に従って仏師の鞍作鳥(くらつくりのとり)は身分の低い家柄から大仁にまで出世しました。この制度は、小豪族にも出世の可能性を開いたことで、役人たちのモチベーションを高めたといえるでしょう。しかし皇族や蘇我氏は別格とし、冠位を与えられることはありませんでした。むしろ冠位を与える側の立場だというわけです。皇族はともかく、蘇我氏も別格扱いとは、例外を設けることにより、制度の趣旨を半減させてしまっていると思います。馬子が厩戸皇子と対立していたことを窺わせますね。
