見出し画像

日本人の物語01271【室町/義満期】准母問題 太上天皇を欲す

男系・女系にこだわらなければ足利義満は天皇になる資格があることになりますね。というか、こだわらなければ即位の資格がある人の人数は相当膨れ上がっちゃいますね。

 太上天皇又は太上法皇とは天皇を経験した人物に与えられる号ですが、例外としては後堀河天皇が即位した際に、その父を「後高倉法皇」とした事例があるだけでした(00639回参照)。ただ、言うまでもなく後高倉法皇は天皇家の人間であり、天皇家の外にいる義満が太上天皇を号するなど前代未聞の話です。
 あえて言うなら、
・義満の母が紀良子
・紀良子の母が智泉聖通(ちせんしょうつう:1309~1388)
・智泉聖通の父が尊雅王(たかまさおう)
・尊雅王の父が善統親王(よしむねしんのう:1233~1317)
・善統親王の父が順徳天皇
ということで、義満は順徳天皇の血を引いているわけですが、途中で女系を含んでいるわけですから天皇や上皇を名乗ることはできないはずです。
 その太上天皇号を義満は狙ったというのです。小川剛生氏の説に沿って、応永13(1406)年12月26日の一条経嗣と裏松重光の会話をもう一度見ていきましょう。
 裏松重光はこう言いました。
「明日、関白様から尊号などの手続を進める旨、北山殿にお話しください」
 小川氏によると、ここでいう「尊号」とは明らかに太上天皇を意味するもので、准母や准三后のことを通常「尊号」とは呼ばないのだそうです。
 さらに翌日に一条経嗣が義満に述べた言葉も見てみましょう。
「恐れながら、南御所様(康子)をもって准三后の宣下を賜り、その上で准母となされるのがよろしいと存じます。まずは尊号の御沙汰が下るべきでしょう。以上のことはあくまで私の発案に過ぎませんが、お考えください」
 ここでも「尊号」という言葉が使われている上、文脈から判断して「准三后」「准母」とは別の内容を意味しているように見えます。儀式に精通しているはずの関白・一条経嗣が言葉の使い方を誤るわけがないので、この「尊号」は康子への准三后の宣下ではなく、別物の話をしているはずです。それは義満への太上天皇号しか考えられないというわけです。
 つまり「義満を上皇にする」というあり得ない選択肢を検討させられた裏松重光と一条経嗣は、「一旦検討します」と言って持ち帰りつつ、後で「さすがに無理でした」と拒絶しようという作戦を取っているわけです。義満に振り回されながらもしたたかに立ち回る一面が垣間見えるようです。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集