見出し画像

日本人の物語00058【弥生】高木彬光と松本清張

 この後、著名な推理作家2名が邪馬台国論争に参加し、邪馬台国をめぐる議論はまさに国民的なものとなりました。
 昭和47(1973)年。推理作家高木彬光(たかぎあきみつ:1920~1995)が出版した『邪馬台国の秘密』がベストセラーになりました。高木彬光は、「投馬国の『水行20日』と邪馬台国の『水行10日陸行1月』については、帯方郡からの総距離を述べたもの」として、邪馬台国を大分県宇佐(うさ)市と主張しました。
 一方、昭和51(1976)年、推理作家・松本清張(まつもとせいちょう:1909~1992)が『邪馬台国』を出版し、『魏志倭人伝』の距離は信用できないと主張しました。『魏志倭人伝』では、「鮮卑(せんぴ)」という騎馬民族が有した領土の規模が「1万2千里」となっており、1万2千は大きい数字を表すときの常套句とみられるのです。すると帯方郡から邪馬台国までの距離「1万2千里」は信用できないということになります。さらに、各国の家の戸数が「3万」「5万」「7万」と奇数ばかりであり、奇数を好む陰陽五行説の影響がみられるというのです。こうして松本清張は数字を無視して方角のみを捉え、邪馬台国=福岡県南部と主張しました。
 平成元(1989)年、吉野ヶ里遺跡で大規模な環濠が発見され、佐原真が「邪馬台国の有力な比定地となる」と述べたため、九州説が有力視されるようになりました。
 しかし近畿説も負けてはいません。平成10(1998)年に、奈良県天理市にある黒塚古墳から33枚もの三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が出土しました。三角縁神獣鏡とは円形の銅鏡ですが、縁が尖っており断面が三角になっていることからこう呼ばれているものです。
 『魏志倭人伝』には「銅鏡百枚を卑弥呼に贈った」と書かれており、まさにこれこそが卑弥呼に贈られた銅鏡ではないかと考えられるのです。三角縁神獣鏡の中には、「景初三年(239年)」「正始元年(240年)」という魏の年号が記載されたものも多く出土しており、これらの年号はまさに卑弥呼が魏に使いを出した時期と一致します。
 しかし、懐疑論もあります。三角縁神獣鏡は、『魏志倭人伝』では「百枚」とあるのに、国内で近畿、中国、九州合わせて500枚以上も見つかっているのです。しかも、京都府福知山市で出土した鏡からは「景初四年」という存在しない年号が書かれており、「景初が三年で終結したことを知らない日本人が、日本国内で作成したのではないか」との説が提起されているのです。このような疑義が呈されているとはいえ、卑弥呼の時代の年号が書かれた三角縁神獣鏡が奈良県で見つかったことは、近畿説が有力視される根拠となりました。
 さらにその後、平成21(2009)年、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、3世紀中頃とみられる日本最大規模の大型建物群が発見されました。これぞまさに邪馬台国にふさわしい規模の都市国家ではないかということで、近畿説がまた一歩リードしました。
 いずれにせよ、邪馬台国は一体どこなのか、今後の動向に注目したいところです。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集