日本人の物語01393【アイヌ神話】アイヌ神話概観
北海道編、開始です。
本稿は日本史を語り尽くすつもりで書いているものですが、今のところ本州・四国・九州の歴史しか語っておらず、北海道と沖縄についてはほぼ触れて来ませんでした。それは、北海道・沖縄が異なる文化圏を形成して異なる歴史を歩んできたためです。ここからは北海道の歴史を見て行きましょう。
中世の北海道は蝦夷ヶ島(えぞがしま)又は蝦夷地(えぞち)と呼ばれていました。
ちなみに平安時代、東北地方に住む中央政府に従わない人々を蝦夷(えみし)と呼んでいましたが、鎌倉時代以降はその蝦夷(えみし)たちは中央政府に組み込まれ、もはや討伐の対象とはならず、蝦夷(えみし)という名称も使われなくなっていきました。その代わりに、北海道に住むアイヌ民族を蝦夷(えぞ)と呼ぶようになり、北海道自体は蝦夷ヶ島又は蝦夷地と呼ばれるようになりました。実にややこしいですね。
さて、縄文時代までは本州と北海道の歴史に大きな違いはありません。人々は狩猟と採集を生活の糧としていました。
しかしその後の弥生文化、つまり稲作は北海道には到達せず、「続縄文文化(しょくじょうもんぶんか)」と呼ばれる文化が7世紀まで続くこととなります。今でこそ北海道は農業の盛んな土地ですが、それは寒冷な気候に適応できるよう品種改良を重ねたためであり、当時は農耕に適した土地ではなかったのです。
北海道北部では、5世紀頃から「オホーツク文化」が始まりました。これは秋から春にかけて共同で大規模な漁を営み、夏には各地の海岸に分散して住むという生活様式で、樺太に住んでいたアイヌ民族が南下して北海道北部に住み始めたことで定着したようです。アザラシ、オットセイ、トド、アシカといった海獣を捕って食べていたらしく、北海道南部にはみられない文化です。
一方、北海道南部では7世紀頃から「擦文(さつもん)文化」と呼ばれる新たな文化が生まれました。「擦文」とは土器の胴の部分に刷毛(はけ)で刷ったような特徴的な文様のことで、本州にはみられない土器の特徴です。この頃から麦、粟、キビ、ソバ、ヒエ、緑豆などの雑穀の生産が始まりました。イネはありませんが、農耕の開始です。
9世紀にはオホーツク文化と擦文文化が出会い、影響し合って「トビニタイ文化」が生まれました。海獣を食べる一方で擦文土器も作るという融合文化です。
こうして北海道は13世紀まではアイヌ民族の居住地として、和人や大陸との交易はあっても、武力進出や大規模な経済進出は受けないまま推移していました。
アイヌ神話がこの時代から育まれたものか、はたまた13世紀の
・元(モンゴル)による樺太への攻撃
・日本人(和人)による渡島半島への経済進出
が始まった以降に形成されたものかは判然としませんが、まずは「ユーカラ」に歌われるアイヌ神話のストーリーから見ていきたいと思います。
北海道と沖縄にはもっと早く言及しておけばよかったと後悔しています。
