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日本人の物語00234【奈良】49代光仁天皇

 宝亀元(770)年10月1日。藤原百川が画策したとおりに、白壁王が即位しました。光仁天皇です。即位時の年齢は61歳で、神話時代を除くと史上最高齢となります。皇后は聖武天皇の娘・井上内親王です。
 ちなみに、文武天皇以降、ずっと天武天皇の血を引く皇族が皇位を継承してきました。
光仁天皇の即位によって皇位は天智系に戻り、この後現代に至るまで、天智系がずっと皇位を継ぐことになります。
 光仁天皇即位直後、天皇と皇后について驚くべきエピソードがあります。
 光仁天皇と井上皇后が賭け事で、
「勝った方が負けた方に対して若い異性を与える」
と約束したというのです。
 結果、井上皇后が勝ったため、やむなく光仁天皇は息子の山部親王(やまべしんのう:後の桓武天皇)を与えたところ、井上皇后は若い山部親王に夢中になってしまったといいます。
 これは鎌倉時代に書かれた『水鏡』のエピソードですから、後世の創作である可能性が高いでしょう。しかし井上皇后という人物が周囲からどう捉えられていたかが分かりますね。この井上皇后が、あろうことか謀反を画策します。
 宝亀3(772)年3月2日。藤原百川から光仁天皇に対し、
「皇后宮の従者8名が天皇を呪詛している」
との奏上がありました。
 光仁天皇が8名の逮捕を命じると、それに怒った井上皇后が光仁天皇を面罵し、問題となりました。皇后とはいえ、天皇に対しあまりに礼を失した行いです。
 その後、井上皇后にも天皇を呪詛した疑いがかかり、続いて皇后と皇太子・他戸親王(おさべしんのう:761?~775)までもが逮捕されました。
 皇后と皇太子はともに幽閉されてしまいます。(この4年後に死去します。)
 さて、皇太子が失脚してしまったため、新たな皇太子に誰を据えるかが問題となりました。
 百川は山部親王を推薦しますが、光仁天皇は気乗りしない様子です。群臣たちの間でも、
「山部親王の母は、百済の武寧王(ぶねいおう:462~523)の子孫である高野新笠(たかののにいがさ:720~790)だ」
と否定的な意見が大勢を占めました。「母方に朝鮮系渡来人の血が入っている人物を、天皇に据えるのはいかがなものか」というのです。
 百川はこれを不服として、40日に渡って宮廷で太刀を使って示威運動を行いました。現代風にいうとデモのことです。その結果、光仁天皇は遂に山部親王の立太子を認め、宝亀4(773)年1月2日に山部親王は皇太子となりました。

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