見出し画像

日本人の物語00336【平安中期】和泉式部 浮かれ女の汚名

 『和泉式部日記』は敦道親王と和泉式部との和歌の贈答をメインの流れとして進んでいくものです。日記というよりも歌物語といった方が妥当かもしれません。
 恋の駆け引きめいたエピソードがいくつも取り上げられるのですが、中でも有名なエピソードは、敦道親王が和泉式部に和歌の代筆を依頼する場面です。
 ある日、和泉式部は敦道親王から信じられない依頼を受けます。
「仲良くしていた女性が遠く旅立っていくにあたり、その方を感動させる和歌を送りたい。それほどのものが私に作れるとは思えないので、私の代わりに一首詠んでほしい」
 他の女性に贈る歌を依頼するとは、何ともデリカシーのない話ですが、式部は依頼に応えて次の和歌を作りました。
「惜しまるる 涙にかげは とまらなむ 心も知らず 秋はゆくとも」
(あなたを惜しんで流れる涙のかげに、あなたの面影が留まっていてほしい。秋が過ぎ去ると同時に、私の心も知らずあなたが過ぎ去っていくとしても)
 式部は代筆した和歌に文を添え、次のように書きました。
「その方は、あなたを残してどこに行ってしまうのでしょうか。私は辛いこの世に無理に留まっておりますのに」
 敦道親王からの返事はこうです。
「私のことを捨てていく人などどうでもいいのです。あなたさえここに留まってくれるなら」
 一見、敦道親王はひどくデリカシーのない男のようですが、この依頼は和泉式部の嫉妬心を煽るための方便だったようにも読めます。事実、倦怠期にさしかかっていた二人は、この代筆をきっかけにまた頻繁に会うようになるのです。
 二人はすれ違いを繰り返しつつも最終的に結ばれるのですが、敦道親王の正妃である藤原済時女(ふじわらのなりときのむすめ)は激怒し、離婚を迫ります。結局敦道親王は正妃と離婚し、和泉式部を選びました。
 敦道親王との恋に勝利した和泉式部でしたが、またしても宮中の悪評に悩まされました。「和泉式部は浮かれ女(浮気性な女)だ」というのです。まあ浮気性であることは事実かもしれませんが。
 そして残念ながら、幸せな結婚生活は長くは続きませんでした。寛弘4(1007)年10月2日に敦道親王は和泉式部を残し、27歳の若さで死去してしまいます。和泉式部はまた独りになりました。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集