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日本人の物語01127【南北朝後期】清氏の南朝帰順

出ました。「幕府で失脚した人が南朝方に寝返る」という黄金パターンです。

 若狭から逃亡した細川兄弟は、敵の裏をかいて京へ向かいます。そして兄・清氏は東坂本を越えて、弟・頼和は大胆にも洛中を通って、それぞれ天王寺(大阪市天王寺区)へと逃げ延びていきました。
 摂津天王寺といえば楠木・和田の領地であり、つまり南朝方の拠点です。どうしてそんな場所に逃げたのかというと……。もうこの先の展開はお分かりですね。
 清氏は南朝方の石塔頼房に使者を送り、
「私はあらぬ讒言によって、罪なく死罪になろうとしています。身の置き所がないので、帝のご恩をいただけるならば、軍門に降参いたします。旧交のご縁もありますので、ひとえにあなたを頼りに思っております。何卒よろしくお計らいください」
と伝えました。幕府方から南朝方に降った石塔ならば、きっと話をつないでもらえると思ったのでしょう。
 石塔は使者に会ったものの、あまりのことに返事もできず、
「これは夢かうつつか」
と言って涙を袖で押さえたといいます。これまで多くの幕府高官が南朝方に寝返ってきたものの、今回は幕府ナンバー2の執事であり、大物中の大物です。にわかに信じられなかったのでしょう。
 石塔が急ぎ参内して後村上天皇に事の次第を告げると、天皇は
「敵軍が首を差しだして降参すると言っているのに、これに恵みを与えないわけにいくまい。ただただ朝敵征伐の忠義を尽くせ」
との綸旨を出しました。石塔はこれを持って清氏と会い、互いに言葉もなく涙にむせび合ったのでした。
 こうして、斯波高経、山名時氏、仁木義長に続き、細川清氏までもが南朝に寝返りました。幕府高官の裏切りはさんざん見てきたものの、だんだん大物の寝返りが増えてきた気がしますね。
 このうち斯波高経については、南朝方に寝返った後も幕府側から頻繁にラブコールが送られており、高経は未だ越前守護職から解任されていません。そのため高経は北朝・南朝いずれの味方もせず引き籠もるようになりました。もうしばらく説得を続ければ幕府方に帰ってきてくれそうな状況です。
 しかし、仁木義長は伊勢に居ついたまま、山名は美作で南朝方として戦い、今や細川が天王寺に布陣しています。果たして幕府はこのまま安泰でいられるのでしょうか。

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