見出し画像

日本人の物語01668【室町/西国/六角征伐】日本初のラーメン

「日本で初めてラーメンを食べたのは水戸黄門」というのはあまりに有名なトリビアですが、それを覆す話です。

 義視は長年対立した兄の死を感慨深く受け止め、死去から2週間後に行われた法事で、相国寺蔭涼軒主・亀泉集証(きせんしゅうしょう:1424~1493)に対して
「元々兄と私は仲が良かったのだが、間にいた人がいろいろ申したことによって疎遠になってしまった」
と語ったといいます。
 これを聞いた亀泉集証は、義視にこんなエピソードを話し始めました。美濃に隠遁していた義視が、旧知の仲にある僧を建仁寺と南禅寺の住持に推薦したところ、その僧が五山の求める修行の要件を満たしていなかったため、拒絶されることとなりました。しかしそれを知った義政は
「義視がせっかく推薦してきたのだから、弟の面目が損なわれないよう、特例として認めてやってくれないか」
と述べ、五山の僧たちを説得したというのです。このことを法事の場で初めて知った義視は、頷いて笑ったといいます。この兄弟が腹を割って話す機会があれば、応仁の乱はもっと早期に終結していたかもしれませんね。
 せっかく亀泉集証が登場したので、ここでちょっとした蘊蓄を語らねばなりません。亀泉集証は『蔭涼軒日録』という詳細な日記を残しているのですが、平成29(2007)年に『蔭涼軒日録』を読み解いていた研究者が
「中国の書物で小麦粉を材料とする中華麺の存在を知り、調理して食べた」
との記述を見つけました。調理方法が詳しく書かれていないため、この中華麺を「ラーメン」と表現できるかどうかは未確定ですが、もしそうだとしたらこれが日本初のラーメンとなります。
 さて、水戸黄門こと徳川光圀が、元禄10(1697)年に中華麺を食べたとの記録があることから、これまで
「日本で初めてラーメンを食べたのは水戸黄門」
とされてきました。光圀が明から招いた朱舜水(しゅしゅんすい:1600~1682)という儒学者が水戸にやって来たときに、携行してきた所持品リストに中華麺を作るために必要な道具が含まれていたことから、
「恐らく朱舜水が光圀にラーメンをふるまい、光圀はその作り方を覚えたのだろう」
といわれているのです。しかしその雑学はもはや古いかもしれません。今や最古記録は200年もさかのぼり、「初めてラーメンを食した日本人」の座は亀泉集証にとって代わられたかもしれないのです。

今回の話は雑学として使えそうですが、もし使うなら亀泉集証(きせんしゅうしょう)という名前を覚えておかねばなりません。「名前は忘れたけど室町時代の僧侶」ではいまいち雑学として通用しませんからね。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集