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日本人の物語00800【鎌倉末期】逃げ上手の若君、逃亡*

 有力御家人が次々と戦死したり自害したりする中、北条泰家の家臣である諏方頼重(すわよりしげ:?~1335)は、いよいよ幕府滅亡を覚悟して主のもとにやって来ました。
 頼重が
「最期のお供をするべくまかり越しました。御覚悟を」
と述べますが、泰家は予想外のことを言い始めます。
「我が鎌倉がこのような憂き目を見るのは、考えてみれば兄上の言動が人望を失くし、神に背くものだったためだと思う。しかし我が北条家は先祖代々、善行を積んできた。その功徳がまだ残っているとしたら、今は滅亡の危機に瀕しても、将来再興できる機会があるかもしれない」
 なんと泰家は、兄・高時の横暴な振舞いが反乱を招いたことを認めつつ、まだ北条家再興を諦めていないというのです。その上で泰家は、
「そこで頼みがある。甥の亀寿(かめじゅ:後の北条時行:1325~1353)を匿ってほしいのだ」
と本題に入りました。高時には長男・邦時がいますが、邦時は既に五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)という御家人に預けて逃がす準備ができています。だから次男の亀寿を諏方家に預けたいというのです。
 泰家といえば、甥の邦時と得宗家の家督を争った仲ですが(嘉暦の騒動)、泰家は泰家なりに高時の家を守ろうと必死に考えていたのですね。
 これに感じ入った諏方頼重は、
「『死を一時に定むるは易く、謀を万代に残すは難し』と申します。確かに今は自害よりも生き延びることが重要だと理解しました。亀寿様のことはお任せください」
と述べ、当時7歳の亀寿を領地の信濃国諏訪(長野県諏訪市)へと連れて行きました。
 この亀寿こそが、後に北条時行(ほうじょうときゆき)と名乗り、室町幕府を数十年に渡って苦しめることとなる人物です。武士道を旨とする中世において「不利になったらすぐ逃げて、とにかく生き延びる」という独自の美学を貫いた不思議な生涯は『逃げ上手の若君』という漫画で取り上げられました。北条時行を主人公とする漫画が週刊少年ジャンプで連載開始したとの知らせを聞いたときは、「あんな知名度の低い武将を主人公に据えるとは」と耳を疑ったものです。
 甥を諏方頼重に託した泰家は、自害したと見せかけ奥州に逃亡しました。泰家もまた逃げ上手だったといえるでしょう。
 なお、古い文献では「諏訪」「諏方」と2つの漢字表記が入り乱れていますが、本稿では人名については「諏方」、地名については「諏訪」で統一しておきます。

『逃げ上手の若君』第1巻の表紙。北条時行を主人公とした漫画の連載が始まったことは、南北朝マニアたちを大いに困惑させたが、内容的にも商業的にも大いな成功作品となった。

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