日本人の物語00997【南北朝前期】御所巻 史実と推論
将軍権力の低下を示す「御所巻」は、
・初代尊氏に対して1回
・3代義満に対して1回
・8代義政に対して2回
起こります。現在にたとえるなら首相官邸前のデモですかね。いや、でも室町時代は政府高官がデモをやっているので、ちょっと違いますね。
ここまで、高師直が尊氏邸を取り囲み、その結果直義が罷免された「御所巻」について、太平記の記述を追って来ました。ところが、同時代の史料を見ると「御所巻」はさらに不可解な事件だったことが分かります。
まず正平4/貞和5(1349)年閏6月7日、尊氏が直義を訪問し、師直との不和について聞き取ったとあります。この直義の訴えを聞いた尊氏は、閏6月15日、高師直を執事職から解任しました。その後任は高師世(こうのもろよ:?~1351)といって、師直の甥に当たる人物です。
つまりこの時点では尊氏は、直義の方を信頼していたことが分かります。
しかし納得のいかない師直は軍勢を集め始め、一触即発の事態となりました。戦乱が起こるかもしれない中、尊氏は8月10日に突然篠村八幡宮(京都府亀岡市)に参詣しています。さらに8月12日には尊氏邸で弓場始(ゆばはじめ:弓の競技の観戦)を催しており、何とも呑気です。
そして8月13日に例の「御所巻」が起こるのです。直義が尊氏邸に逃げ込み、師直がその館を取り囲みます。ここで尊氏は、師直の主張を受け入れて直義の罷免を決定するのです。
してみると、どうやら尊氏は
・当初は直義の味方となって師直を罷免するつもりだった
・予想以上に家臣たちの中に師直の味方が多かったことから、方針を変更して直義を罷免せざるを得なかった
ということのようです。ずいぶんグラグラしていますね。
研究者の中には、この騒動の黒幕はほかならぬ尊氏だったと主張する人もいます。
「放置して師直に直義を殺させるよりは、自らが説得役を買って出て、直義を呼び出して辞任するよう働きかけたのではないか。直義がどうしても同意しなかったため、師直に指示して自邸を囲ませたのではないか」
というのです。それはそれであり得る気がします。
いずれにせよ、師直と直義の対立はこうして勝敗がつきました。
師直は讒言の張本人である妙吉を探したものの見つからず、直義の辞任と上杉重能・畠山直宗の流罪だけが決行され、師直は執事に再任されました。師直の権威はみるみる高まっていったのです。
なお、「三条殿」と呼ばれた直義の後任は、師直の指名により尊氏の嫡男・義詮に決まりました。義詮(幼名・千寿王)は鎌倉で長く直義に育てられた人物ですから、師直のみならず直義にとっても悪くない人事だったでしょう。
