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日本人の物語01118【南北朝後期】懐良親王、九州制圧

今回、福岡県糸島市が登場するんですが、糸島といえば今の朝ドラの舞台ですね。魏志倭人伝に登場する「伊都国」に比定されており、農業生産力の高い豊かな土地です。

 ここで、倉懸城の戦いと並行して行われた九州での戦いに目を転じてみましょう。
 九州では、正平14/延文4(1359)年8月6日に発生した筑後川の戦いによって、懐良親王・菊池武光が少弐頼尚・大友氏時を破ったところでしたね。これにより少弐・大友は大打撃を受けたわけですが、両者の争いはまだまだ続いていました。
 正平16/延文6(1361)年7月5日。少弐頼尚が筑前国加布里城(かふりじょう:福岡県糸島市)を陥落させ、勢いを取り戻してきます。これを見た菊池は少弐・大友に攻撃を加えるべく、拠点の肥後国菊池(熊本県菊池市)を出発しました。
 懐良親王・菊池武光は3千騎で博多に向かい、香椎(福岡市東区)に陣を布きました。一方、大友氏時ら7千騎、少弐頼尚ら5千騎、これに宗像大宮司などを加えた北朝方の計2万3千騎が、飯盛山(福岡市西区)に陣を布きました。
 北朝方2万3千と南朝方3千の戦いです。圧倒的な差がある上に、香椎は平地ですから攻めやすく守りにくい場所です。北朝方にとっては一見楽勝できそうに見えますが、あの菊池が相手ですから、警戒してじっくり攻めようと2ヶ月ばかり隙を窺ってばかりいました。
 その間に、菊池家家臣の城武顕(じょうたけあき:?~1372)は巧みな謀略戦に打って出ます。城は山伏や禅僧を敵の松浦党の陣地に送り込み、
「誰それが敵に内通しているようだ。誰それは後ろから味方に矢を射て寝返るつもりだそうだ。裏切り者に警戒した方が良いですぞ」
などとあらぬ噂を流して回りました。
 松浦党とは現在の佐賀県唐津市一帯を支配した海賊で、当初は南朝方でしたが多々良浜の戦い(00861回参照)を機に幕府方に寝返った者たちでした。城武顕はこの松浦党をターゲットとして謀略を仕掛けたわけです。
 偶然にも筑後川の戦いのちょうど2年後に当たる8月6日未明、城武顕は千騎で飯盛山に奇襲をかけます。飯盛山の北朝軍は大軍であり、本来ならば南朝方の千騎で対抗できるはずのない状況でしたが、北朝軍の内部で事前に「内通者がいる」との噂が流れていたため、北朝方の兵たちは恐れをなして次々と逃げ出していきました。勢いに乗った南朝方の菊池軍はこれを追跡して次々と討っていきます。
 結局、松浦党に引き続き少弐・大友軍も逃げ出し、飯盛山の戦いは南朝軍の大勝利に終わりました。
 博多から少弐・大友を駆逐した懐良親王・菊池武光は、ついに大宰府へと入りました。ここに南朝の征西府を置き、九州全土を支配する拠点としました。
 12歳で初めて九州の地を踏んでから苦節19年。懐良親王は遂に九州全土を制圧したのでした。

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