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日本人の物語00796【鎌倉末期】極楽寺坂の戦い

 続いて、極楽寺坂の戦いを見ていきましょう。極楽寺坂とは鎌倉の西の出入口で、鎌倉大仏に比較的近い場所にあります。
 極楽寺坂の攻撃を担当したのは新田一族出身の大舘宗氏(おおだちむねうじ:1288~1333)でした。一方、幕府方でここを防備するのは大仏貞直です。大仏貞直といえば、赤坂城や千早城で楠木正成にさんざんに痛めつけられた人物でしたね。
 両者が激しくぶつかり合う中、幕府軍に意外な人物が駆けつけてきました。本間山城左衛門(ほんまやましろざえもん:?~1333)という人物です。本間は大仏貞直に仕えていましたが、何を仕出かしたのか貞直をひどく怒らせてしまい、出仕を止められていました。
 その本間山城左衛門が援軍に駆けつけて大活躍し、なんと敵の大将・大舘宗氏を討ち取ったのです。
 致命傷を負った本間は貞直に
「勘気を受けたままの身では後の世まで妄念が残るため、馳せ参じました。もう思い残すことはありません」
と言い残し、自害しました。貞直は
「恨みに恩得で報いるとは本間のことだ」
と述べ、本間の死を悼んだといいます。
 大舘宗氏戦死の知らせを聞いた新田義貞は、化粧坂から極楽寺坂に転身し、大仏軍に攻めかかっていきます。
 こうして元弘3/正慶2(1333)年5月18日から始まった鎌倉攻略戦は、21日になっても決着がつきません。巨福呂坂・化粧坂・極楽寺坂それぞれで、
・巨福呂坂の戦い: 堀口貞満VS赤橋守時・金沢貞将
・化粧坂の戦い: 脇屋義助VS普恩寺基時
・極楽寺坂の戦い: 大舘宗氏VS大仏貞直
が戦っているのですが、鎌倉方が意外に粘り強く、どれ一つとして陥落しないのです。
 そこで21日深夜になって、義貞は別の場所からの攻略を試みることになりました。それがあの有名な稲村ヶ崎です。
 稲村ヶ崎とは極楽寺坂の南方にある地名で、現在はサーフィンを楽しめる海岸として知られている場所です。平成2(1990)年に桑田佳祐がここを舞台にした映画『稲村ジェーン』を製作して、観客動員約350万人を記録したことで話題となりました。
 ここが奇跡の舞台となるのです。

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