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日本人の物語00480【平安末期】平家都落ち 資盛と経正

 平家都落ちのエピソードを紹介しているところです。今回は資盛と経正を取り上げます。
 重盛の次男・資盛は、愛する建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ:1157~?)に今生の別れを告げることとなりました。
 平資盛といえば、
「摂政・松殿基房の車と行き違った際、下馬の礼をしなかった」
という殿下乗合事件の項で取り上げましたね。あのときは9歳だった資盛も、今や22歳で立派な若武者です。
 その資盛は、建礼門院徳子に仕える右京大夫という女性と恋仲にあったわけです。この女性は通常「建礼門院右京大夫」と呼ばれます。
 資盛が建礼門院右京大夫に贈った歌として、
「浦見ても かひしなければ 住の江に 生ふてふ草を 尋ねてぞみる」
(住の江の浦を見ても貝がないように、あなたを恨んでも甲斐がないので、住の江に生えているという忘れ草を探して、あなたを忘れようと試みます)
という一首が残っています。
 これに対する建礼門院右京大夫の返歌は、
「住の江の 草をば人の 心にて 我ぞかひなき 身を恨みぬる」
(住の江の忘れ草とは、あなたの忘れっぽい心の方であって、私の方こそあなたに愛してもらえない我が身を恨んでいることです)
でした。これだけ惹かれ合って結ばれた二人は、都落ちを前に最後の別れを交わしたのでした。
 一方、清盛の弟に当たる平経盛(たいらのつねもり:1124~1185)の子・経正(つねまさ:?~1184)は、琵琶の名器「青山」を「田舎の塵にしてしまうのは惜しい」として、仁和寺の住職・守覚法親王(しゅかくほっしんのう:1150~1202)に託しました。守覚は
「あかずして わかるる君が 名残をば 後のかたみに 包みてぞおく」
(心ならず別れることとなったあなたとの名残りの琵琶を、後々の形見として大切に包んで預かりましょう)
と詠み、経正は
「くれ竹の かけひの水は かはれども なほすみあかぬ みやの中かな」
(庭先の筧の水の流れは変わるとしても、なお住み飽かぬほど美しく澄み渡るこの宮です)
と返歌しました。自分の命よりも何よりも、名器の琵琶を避難させようとする経正の思いに心を打たれる平家物語の一幕です。

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