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日本人の物語01609【室町/東国/長尾景春の乱】伊勢盛時登場

「伊勢盛時」と「北条早雲」が同一人物であることはどのくらい知られているのでしょうね。

 ここで、今川義忠の後継者候補である2人のプロフィールを概観しておきましょう。
 まず、子の龍王丸(後の氏親)は未だ4歳ですが、正室との間の子ですからこちらに家督を継がせるのが普通です。母の北川殿は伊勢盛定(いせもりさだ)の娘で、この盛定というのはあの隆盛を誇った伊勢貞親の妹婿に当たり、伊勢家の庶流の出身ながら貞親の信頼を勝ち取り、伊勢家一族の中でも重視されてきた存在でした。ただ、文正の政変で貞親が転落して以降、盛定も鳴かず飛ばずです。
 一方、もう一人の後継者候補である小鹿範満は義忠の従兄弟であり、小鹿(静岡県静岡市)を拠点にしています。今川一族ながら「小鹿」という姓を名乗っているのは、今川家が6代将軍義教から「天下一苗字」を許されたためでした。つまり今川家当主とその子でなければ「今川」を名乗ることができず、今川家の分家筋は別の苗字を名乗らなければなりません。
 この小鹿範満の母は犬懸上杉政憲(いぬがけうえすぎまさのり:?~1487?)の娘であり、その犬懸上杉政憲とは堀越公方政知の重臣でそこそこの家格です。
 政憲は、将軍の命令が発されているにもかかわらず、なかなか関東に出陣しない今川義忠に苛立ちを募らせていました。そして、自らの孫である小鹿範満が今川家当主になってくれれば、今川家全体を味方に引き込むことができ、古河公方の息の根を止めることができると考え、今川家の家督問題に介入することを決めました。
 文明8/享徳25(1476)年3月。犬懸上杉政憲は、今川家の家督問題を有利に進めるため、関東最大の実力者である太田道灌を駿河へと派遣しました。道灌は300騎を引き連れて出発し、6月に駿河に入ります。
 息子の家督相続が妨害されそうな状況を知った北川殿は、ひどく焦りました。北川殿は弟の伊勢盛時(いせもりとき:1456?~1519)を京から呼び寄せて、息子の龍王丸を援助してほしいと要請します。
 ここに伊勢盛時が初登場しました。伊勢盛時は「北条早雲」という名で知られる戦国武将ですが、本人が生前に北条姓を名乗ったことはないため、本稿では伊勢盛時と呼ぶことにします。彼がいかにして戦国武将に成長していったかは今後取り上げていくことになるでしょう。
 後継候補の両者は、代理人を置いて議論することとなりました。44歳にして百戦錬磨の太田道灌に対して、伊勢盛時は弱冠20歳です。交渉の結果、
「家督は小鹿範満が継ぐが、あくまで龍王丸が15歳となるまでのつなぎである」
との妥協案が成立しました。
 もっとも、太田道灌と伊勢盛時の直接の会見は後世の創作との説もあります。確かに若き日の北条早雲こと伊勢盛時があの太田道灌と渡り合ったという話はいかにも面白そうで、創作っぽい気がします。

盛時の伝記コミック「新九郎、奔る」での道灌と渡り合うシーンはなかなかの見ものでした。

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