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日本人の物語01337【室町/義持期】義持危篤

義持の死因は「風呂で尻の傷をかきむしった」ことだそうです。皆さんも気を付けましょう。

 赤松家の処遇をめぐって一敗地にまみれた義持は、心ならずも満祐の家督・領国継承を認めざるを得なくなりました。
 応永34(1427)年11月25日。管領畠山満家のとりなしにより、義持は赤松満祐を正式に赦免し、12月18日には満家に付き添われた満祐の挨拶を受けました。
 その1ヶ月半後、義持を突然の病が襲います。応永35(1428)年1月7日、風呂で尻の傷をかきむしった後、高熱を発したのです。何らかの感染症と思われます。
 1月11日、義持は発熱を押してどうにか評定始に出席したものの、他の予定はキャンセルせざるを得ませんでした。1月15日には危篤となります。
 1月17日。将軍が生死の境をさまよっている中、後継者をめぐって畠山満家・斯波義淳・細川持元・山名時熙・畠山満慶が集まって議論しました。といっても何も決まらず、満済にとりなしを依頼して義持の意見を聞くこととなりました。
 ところが満済が義持に尋ねると
「後継者を定めるつもりはない。管領以下の面々で相談して決めよ」
と言うだけです。丸投げされた管領・畠山満家は困惑し、満済を訪ねて
「再度将軍に真意を尋ねてほしい」
と依頼しました。満済が三条坊門第を訪れたところ、義持は近習たちと末期の酒を酌み交わしていましたが、満済の用件を察して人払いをしました。
 ここからのやり取りは、満済の日記の記述によります。
義持「たとえ実子がいたとしても後継指名はしないと思う。まして実子はいないのだからなおさらだ。とにかく各位がよく相談し、しかるべく定めよ」
満済「将軍の仰せは各位に伝えますが、彼らは何度でも嘆願する覚悟でいます。幸いご兄弟がおられるのですから、その中から適任者をお選びください。それも難しければ、ご兄弟4人の名を記したくじを八幡宮の神前で引き、定められてはどうでしょう」
義持「ならばくじで決せよ。ただし私の存命中にくじを引くことは許さぬ。というのも、義量が早世した直後、私は『新たに男子が出生しないならば祖父義詮の宝刀を奉納する。もし産まれるなら奉納しない』というくじを2つ作り八幡宮の神前で引いたところ、『奉納せずともよい』との結果が出たのだ。さらにその日の夜、男子が産まれる夢を見た。私はこれを深く信じて猶子(養子)のことも定めなかったのだ。だからくじを引くにしても、私が死んだ後にせよ」
 いよいよ前代未聞のくじ引きによる将軍選びが行われようとしています。

義持は最後の最後までやたらと信心深いですね。

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