日本人の物語01120【南北朝後期】康安の政変 恐るべき野望
「恐るべき野望」というタイトルにしましたが、読み直すと「道誉の謀略」とした方が良い気がしてきました。まあ変えませんけど。
細川清氏と佐々木道誉の確執が深まる中、清氏はうかつな行為により、反逆を疑われてしまいます。
清氏には数えで9歳と7歳の息子がいましたが、その二人を元服させるに当たって誰かに烏帽子親を頼むことなく、
「石清水八幡宮で大菩薩を烏帽子親にする」
といって、兄を八幡六郎、弟を八幡八郎と名付けました。
これはいかにも挑戦的な行為でした。普通、元服式では将軍などの実力者に烏帽子親を依頼し、その諱(いみな)から一文字もらうのが通例です。例えば佐々木道誉は孫の2人を元服させるとき、将軍義詮から「詮」の字をいただき、秀詮・氏詮(うじあき:?~1361)と名付けています。
しかも八幡六郎・八郎という名はいただけません。かつて源頼義が3人の子(義家・義綱・義光)に対し、八幡太郎、賀茂次郎、新羅三郎と名付けたのと似ており、源氏の棟梁に似た名になっています。この名付けは僭越に過ぎるでしょう。
将軍義詮も八幡六郎・八郎という名を聞いて不快感をあらわにし、道誉は清氏を追い落とせるチャンスが来たとほくそ笑みました。
ここでさらに、清氏最大のスキャンダルが発覚します。
たまたま鎌倉から志一(しいち)という高僧が上洛して、道誉に挨拶しました。雑談する中で、道誉がふと
「誰かから祈祷などを申し込まれることがありますか」
と尋ねると、志一は
「まだ知り合いも少なく、依頼も少なかったのですが、細川殿から数日前に『大事な願い事がある。すみやかに成就するように祈ってほしい』と言って、願いが書かれた封書と百貫文を添えて依頼がありました」
と答えます。道誉が
「どんな願い事ですか」
と聞くと、志一はその願いが書かれた願文を取り出して見せてくれました。
果たしてそこには、こう書かれていました。
1 清氏が天下を治めて子孫が栄華を極めること
2 将軍義詮がすぐに病死すること
3 鎌倉公方基氏が武力や人望を失い、我ら細川家に降ること
日付は「康安元年九月三日」とあります。
いやはや、さすがにこれは道誉の作り話でしょう。こんな内容なら、清氏はわざわざ面識のない志一に頼むわけがないし、志一も依頼人の秘密を守らなければダメでしょう。
