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日本人の物語01573【室町/西国/応仁の乱】後花園の追号

Xで「教養って虚しいよ」という投稿が出てきて、ひどく納得しました。私は教養だけは豊富にあって実学がまるでない人間なのですが、正直仕事に活かせません。

 後花園法皇の崩御から半年が経った文明3(1471)年1月2日、その諡名をめぐる問題が持ち上がりました。
 ここまで便宜上「後花園天皇」「後花園法皇」などと呼称してきましたが、実際にはこの呼称は「諡名(おくりな)」といって、死後に名付ける呼称です。同時代を生きる人々は、この時点では「先の法皇様」とでも呼んでいたと思われます。
 1月2日に後花園法皇の諡名として「後文徳」という名が決まりました。
 ところが2月19日になって、一条兼良が
「漢風諡号への加後号は例がない」
と述べ、反対意見を主張し始めます。
 どういうことかというと、そもそも諡名には「諡号(しごう)」と「追号(ついごう)」の2種類があり、さらに諡号は和風諡号と漢風諡号に分かれています。
①―ア 和風諡号
 「神日本磐余彦(かむやまといわれひこ)」や「日本根子天璽豊聡慧尊(やまとねこあまつみしるしとよさとのみこと)」といった大和言葉のもの。生前の事績や性格などを考慮して付けられる。初代神武~54代仁明までの天皇のほとんどに付けられました。
①―イ 漢風諡号
 「神武」や「仁明」といった漢語のもの。生前の事績や性格などを考慮して付けられるもの。初代神武~55代文徳までの天皇全員に付けられました。
②追号
 「白河」「鳥羽」といった住居のあった場所から名付けるなど、生前の事績や性格とは無関係に選ばれたもの。以前即位した天皇の諡号に「後」を付けた「後鳥羽」「後醍醐」などの加後号もこれに含まれます。
 現代において歴代天皇のことを「〇〇天皇」と漢字2~3文字で表しているのは、全て「漢風諡号」又は「追号」のいずれかです。
 天皇名を見ただけで「漢風諡号」と「追号」のいずれなのかを判断するのはなかなか難しいところです。例えば「仁徳」は仁義に厚く徳があるという性格を示すものなので漢風諡号であり、「醍醐」は地名なので追号です。
 一条兼良が主張したのは、
「『後』は追号に対して付けるべきであり、『文徳』という漢風諡号に対して付けるべきではない。漢風諡号と追号を混同してはならない」
との問題提起でした。これには公家たちも唸ってしまい、結局「後文徳」は取り下げられ、「後花園」に落ち着くこととなったのです。
 後世の我々からみるとどうでも良い論点のように思えますが、当時の公家社会にとって前例は極めて重要なものだったようです。

博識な一条兼良らしいお話でした。

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