見出し画像

日本人の物語00341【平安中期】紫式部 清少納言への人物評*

 さて、紫式部と清少納言とが直接会ったことがあるかどうかは分かっていません。ただ、紫式部が日記の中で清少納言をこのように評しています。
「清少納言こそしたり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ」
(清少納言は得意顔に偉そうにしている人です。利口ぶっていろいろ書き散らしていますが、よく見れば、中途半端なところがたくさんあります。あんな軽薄な人の行く末に、どうして良いことがあるでしょうか)
 ひどいこきおろし方ですね。自己抑制を旨とする紫式部が、なぜかくも清少納言を口汚く罵るのか、その理由は日記の別の段を読むと分かります。
「左衛門内侍(さえもんのないし)という人がいます。私のことを快く思っていなかったようで、嫌な陰口がたくさん聞こえてきました。
 一条天皇が源氏物語をお付きの人に読ませながらお聞きになっていたときに、天皇が
『この作者はきっと日本書紀を読んだのだろう。本当に学才があるようだ』
とおっしゃったのを小耳に挟んだ左衛門内侍は、
『紫式部はたいそう学才がある』
と殿上人などに言いふらして、私に『日本紀の御局(にほんぎのおんつぼね)』とあだ名を付けたそうですが、たいそう馬鹿馬鹿しいことです。
 私は実家の侍女の前ですら漢文の学才を包み隠していますのに、そんなところで学才をひけらかしたりしませんよ」
 この一節には、藤壺の女房たちの人間関係がいかに難しいかが描かれていますが、紫式部の主張は矛盾をはらんでいるようにも見受けられます。紫式部は「ひけらかしたりしませんよ」と言っているものの、そもそも源氏物語という小説を発表する行為自体が学才をひけらかす行為であり、源氏物語の端々に日本書紀への造詣の深さが表れてしまっていたのです。
 つまり紫式部も清少納言もともに学才をひけらかし、それを原因として敵を増やし陰口を叩かれているわけです。紫式部が清少納言をこき下ろしているのは、陰口に悩んでいる様子を微塵も見せない清少納言への嫉妬に過ぎないとも考えられます。紫式部は自分が言われた悪口を清少納言にそのまま転嫁しているのでしょう。
 一方、清少納言が紫式部をどう見ていたのか気になるところですが、残念ながら記録が残っていません。

紫式部が晩年を過ごした雲林院に程近い紫式部の墓。晩年の地を雲林院と特定したのも角田文衛氏らしい。2023年12月29日撮影。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集