日本人の物語01661【室町/西国/六角征伐】肥前千葉氏の東西分裂
近江といい肥前といい、ややこしい話が続きます。
話がコロコロ飛びますが、肥前千葉氏が東西に分裂したことについて触れなければなりません。肥前千葉氏については、
〇胤鎮・胤紹の兄弟対決があり、文安2(1445)年8月に兄の胤鎮が弟の胤紹を討ったこと
〇寛正6(1465)年に、胤鎮の孫・教胤に対して胤紹の子・胤朝が今川胤秋と組んで反乱を起こしたこと
〇教胤が船の転覆で事故死し、後継をめぐって文明2(1470)年に胤朝・胤将の兄弟対決が起こり、胤朝が勝利したこと
を述べてきました。既に二度の兄弟対決が起こっているわけですが、さらに三度目の兄弟対決が起こります。
胤将を擁立した少弐政資は土一揆合戦(01572回参照)で敗れ、大宰府に戻っていました。胤将も亡命し行方知れずとなりました。しかし諦めの悪い少弐政資は、胤朝・胤将兄弟のさらに弟に当たる胤盛(たねもり:?~1478)を擁立して千葉氏にもう一戦挑むのです。
胤朝・胤盛の兄弟対決の詳細は不明ですが、遅くとも文明10(1478)年までには弟・胤盛が小城城(佐賀県小城市)を占領して優位に立っていたようです。しかし文明10(1478)年に少弐の宿敵である大内政弘が帰国したことで、形勢は逆転しました。少弐と結ぶ胤盛はじわじわと追い詰められます。10月5日には大内政弘・千葉胤朝が胤盛に対して降伏を勧告しますが、これが拒まれて戦となります。
戦の結果、兄・胤朝が小城城を取り戻し、弟・胤盛は晴気城(佐賀県小城市)に敗走しました。敗北した少弐政資は、作戦を練り直す必要に迫られました。
その8年後の文明18(1486)年10月3日、不思議な出来事がありました。何者かが小城城を夜襲して兄・胤朝を暗殺したのです。「暗殺犯は胤将の手の者と名乗った」というのですが、胤将は長年に渡って行方知れずであり、その後も現れる気配を見せません。恐らく真の暗殺犯は少弐政資であり、胤将の名を勝手に使ったのでしょう。
主君を失った小城城は大騒ぎとなりました。殺された胤朝に男子はおらず、このままでは家は断絶です。
そこに縁談を持って来たのが、敵だったはずの少弐政資でした。政資は弟の胤資(たねすけ:?~1497)を胤朝の娘と結婚させて、千葉氏を継がせました。家督の乗っ取りです。
少弐と同盟を組んでいた胤盛は、ひどくうろたえました。これまで少弐政資は胤盛を支援して胤朝と敵対してきたのに、今度は胤朝を暗殺して家督を乗っ取る作戦に切り替えたわけで、言わば胤盛は切り捨てられたのです。怒った胤盛は大内方に寝返りました。
これ以降、
・晴気城の胤盛の勢力(大内方)を「東千葉氏」
・小城城の胤資の勢力(少弐方)を「西千葉氏」
と呼んで区別することとなります。
対立構造がコロコロ変わるから難しいんですよね。とりあえず東千葉、西千葉と名字が区別しやすくなって分かりやすくなりました。
