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日本人の物語00801【鎌倉末期】塩田父子の自害

 太平記が次に取り上げるのは、
・塩田国時(しおたくにとき:?~1333)
・塩田俊時(しおたとしとき:?~1333)
という父子の最期です。この塩田家というのは極楽寺重時の五男・塩田義政(しおたよしまさ:1273~1282)を祖とする北条氏の一族です。
 俊時は父に自害を勧めるため、父の眼前で先に腹を切って事切れました。国時は我が子の死を嘆きつつも、
「まずは息子の成仏を祈って、その次に自分のために祈ろう」
と考え、傍にいた郎党たちに
「読経が終わるまで、敵の矢を防げ」
と指示するとともに、側近の狩野重光(かのうしげみつ:?~1333)に対して、
「私が腹を切ったら館に火をかけよ。敵に首を取らせるな」
と命じました。
 国時が読経を終えかけたそのとき、狩野重光は走り来て
「敵がすぐ近くまで迫っています。早くご自害を」
と叫びました。それを聞いた国時は経典を左手に、右手で刀を抜いて見事な切腹を遂げました。
 ところが狩野重光のこの言葉は嘘で、敵の手はまだ迫っていませんでした。狩野は主君を騙して切腹させておきながら、その鎧や太刀を奪い、家中の財宝をことごとく持って逃げました。長年の恩顧を忘れ、主を最後の最後に裏切ったのでした。
 その狩野は、財宝を手に館を出たところを新田軍の執事・船田義昌に見つかり、すぐに首を刎ねられてしまいます。
 太平記はこの狩野重光の最期について
「天罰が下ったのだろう」
と記しています。
 大平記は室町時代に成立した軍記物語であり、歴史書というよりも武士に道徳を教えるための指南書のような役割を果たした書物ですから、こうしたいかにも教訓的な出来事は、史実かどうか疑ってかかった方が良いでしょう。ただ、幕府が滅亡していく中での武士の振る舞いには、きっと様々な美談もあったでしょうし、逆に卑怯な者もいたことと思われます。

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